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【連載小説】家電ブラザース 井植歳男と松下幸之助 第1回(その1)

阿部牧郎(作家)

2014年04月29日 公開 2024年12月16日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年3・4月号Vol.16 より》

 

日本の主婦を家事から解放するために、大志を抱いた男たちがいた――
昭和の日本経済を駆けぬけた伝説の兄弟の物語

 

びっくりうどん―青春1

 

 朝八時、おおげさな汽笛が仮屋の港をふるわせた。巡航船が重々しく揺れた。機関の音をひびかせて、ゆっくりと船体が桟橋をはなれる。緑がかった海の帯が、船と港のあいだにひろがった。白い泡が船尾から海面に噴きこぼれる。見ていると、たいそうなスピードで海に乗りだしてゆく実感があった。

 少年は船尾でしばらく白い泡の流れを見ていた。機関の音が腹にひびいた。大正六年の六月末である。大阪湾にうかぶ船は、まだ帆船や櫓船がほとんどだった。巡航船の機関の音は乗客をなんとなく誇らしい気分にする。

 少年はやがて顔をあげた。胸を張って、桟橋や港や町をながめた。母親の姿をさがしたが、見当たらなかった。どこかにかくれて見送っているのだろう。意地っぱりな母親である。親もとをはなれるわが子を送って涙を流すのが気恥ずかしいのだ。物陰で泣いているにちがいなかった。

 船はすでに海原にあった。蒸気船のスピードはやはりたいしたものだ。故郷の野山が、しだいに島のかたちをとりはじめた。山の木々が新緑である。町の外の玉ネギ畑が、濃い緑色にひろがっていた。田畑で働く人や馬の姿が点々と見える。淡路島はいま、一年でもっとも美しい季節のさなかにある。はるか海の東につらなる大阪、和歌山の無気味なほど巨大な陸地とちがって、そこはしずかで温暖な小国だった。くまなく知りつくした小世界だった。少年はそこを出ようとしている。意外に海の風が涼しかった。母親の庇護のもとをぬけだす実感。

 風に飛ばされてはおおごとである。少年は鳥打帽を深くかぶりなおした。すそあげしたかすりの着物に草履ばきである。船尾のデッキをはなれて、船室におりた。ござを敷いた一階きりの船室だった。二十人ばかりの人が乗っている。官員、教員、行商人、工事場廻りの職人といった人々である。少年は草履をぬいで、船室のすみに腰をおろした。荷物の柳行李を大切にかかえる。生き馬の目をぬく大阪の街へ出てゆくのだ。身辺の油断が、すこしでもあってはならなかった。

 「あ、釈迦堂のトシ坊やないか。一人かいな。どこへいくねん。おまえ、新阜のおじさんの船に乗っとったんちがうんか」

 そばにいた男が声をかけてきた。黒い股引の、職人らしい若者だった。

 若者は少年と同じ浦の村の農家の伜だった。顔見知りである。大阪で大工になったときいている。

 少年は若者に笑いかけた。かれは丸顔である。目がほそく、口もとはしっかりしている。利かん気の顔だった。だが、笑うと、鼻にしわの寄った感じになる。天性、愛嬌に富んだ表情である。

「大阪いくねん。鶴橋いうとこに姉がおるんやわ。船はもうやめた。姉ンとこで電気の工場手伝うことになったんや」

 少年の話しぶりは、はっきりしていた。うれしそうだ。前途に希望だけを思い描いている表情である。

 「そうか。船はやめたんか。そら賢いわ。船はしんどいやろ。極道商売やで」

 「そやねん。それに沈んだら恐いわ。やっぱり人は陸で生きとるさかいな。陸で働くほうが理に適うとる思うねん」

 「姉さんいうたら、むめのはんやな。旦那はんが電気の工場しとるんか。そらええなあ。赤の他人に奉公するよか、どれだけらくかわからんで。トシ坊はめぐまれとるわ。それでケツ割ったら、根性なしいうもんやで」

 大工の若者は訓戒の口調になった。人生の先輩として、都市生活の心得をあれこれ話して聞かせる。

 街では、ゼニさえあればどんなことでもできる。少々義理欠いても、貯めるが勝ちや。他人のさそいを三度に二度は、断わらなあかん。活動写真、買い食い、カフェーあそび、女郎買い。ゼニの使い道はなんぼでもある。そこを目エつぶれ。握りきんたまで通せ。そやないと、いつまでたってもうだつがあがらんで。

 「わしがええ見本や。二十五にもなって、まだ嫁もらう甲斐性もないわ。職人はあかんのや。かせいだゼニを、ぱあっと使うてまう。体がえらいさかい、そないなるんやな」

 「なんや。兄さん貯めてないんか。仰山残した人の話や思うてきいとったのに」

 「アホぬかせ。たたき大工は他人の蔵建てても、自分の蔵は建てへんのじゃ。その代わりなトシ坊、ゼニの使い道はこの十年、しっかり勉強さしてもろたで。道頓堀でも飛田でも、使うほうやったら、なんぼでも教えたる」

 大工の若者の口調は生き生きしてきた。

 少年も目をかがやかせていた。まだ高等小学校を出たばかり。十四歳である。きれいな女に目がいくほどませてもいなかったが、大人の世界には興味がある。叔父の船に乗って大阪をたずね、道頓堀のネオンに、わけもなく胸をおどらせたこともある。

 大阪へわたって、なにか大きな事業をやりたい。漠然とした野心が胸に横溢()していた。それとともに、この世の中の豊饒()さへの期待があった。具体的には、よく知らないが、街には、なにかとほうもない快楽がある。男と女が街のどこかで高笑いし、()をつくし、生きるよろこびを満喫している気配がある。そういう世界にも入ってみたい。大工の若者は、もうその世界を知っていた。大人の余裕が顔にあった。道頓堀や飛田を知るのが、大人への近道なのかもしれない。

 三度に、二度は断わっても、一度ぐらいはいいはずである。給金が出たら、一人で千日前へあそびにいこう。そう決心すると、胸がおどった。故郷をはなれた心細い気持ちが、急速に消えていった。母親の庇護からぬけだしたことは、自由になったことでもあった。自由のほうを少年は感じた。海をすすむにつれて、手足がのびるような心地である。

 白い大型汽船が近くを通った。外国の船だった。窓からそれをみて、少年は腰をあげる。草履をはいて甲板()に出て、遠ざかる汽船を見送った。あの船で外国へゆく人もいる。淡路島で一生田畑をたがやす人もいる。同じ人間でも、えらいちがいだ。できることなら、外国へゆく側の人間になりたい。どうやればなれるのかは、まだわからない。やみくもな野心だけが胸にあった。野心がみたされそうな予感もあった。島で一生をおくる人と、どこか自分はちがっている。どこがどうちがうのか、よくわからないが、ちがっているのはたしかである。その自覚が成功の予感のもとになっていた。やがて自分が乗る船として、少年は外国船を見送っていた。

 巨大な陸地が、すぐ目の前にせまっていた。淡路島からくると、本州は大陸であった。うねりを越えて、巡航船は、大阪築港()の桟橋へ近づいていった。たくさんの船がマストを林立させて停泊している。蒸気船が河口を出入りしている。海上からみても、大阪のにぎわいは圧倒的だった。電車や馬車の音、人々の立ち働く物音がきこえてくるようだ。桟橋に近づくと、潮の香りが消えた。()くさい街の空気が、ただよい流れていた。

 行李をさげて、船をおりた。大工の若者と肩をならべて陸地へあるいた。

 市電に乗った。千代崎橋で大工の若者は電車をおりる。

 「ちゃんと道順わかっとんのやろな。休みがとれたら葉書くれや。道頓堀でも心斎橋でも、どこでもつれてったるさかい」

 念をおして、大工は去った。

 電車の窓から見送った、うしろ姿が心細そうにやせていた。あそび暮しているような話だったが、あまり勢いがよくないのだ。子供心にそう観察した。二十五になって、まだ嫁をもらう甲斐性がない。その言葉が耳に残った。一生外国へいかない男なのだろう。

 

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2014年5・6月号Vol.17

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