<<仕事や家事、育児などで失敗をして、周囲に迷惑をかけていると思ったとき。なかなか恋愛の相手が見つからないとき。長年連れ添った家族との関係にひびが入ったとき。練習したのに、スポーツや楽器で結果を出すことができなかったとき。
そうしたときに、一時的に「自分はダメだ」と思ってしまうのは誰にでもあることです。しかし、そうした失敗や困難を後々まで引きずって、自分を責めずにはいられなくなると問題です。
精神科医の片田珠美さんは、著書『自分を責めすにはいられない人』(PHP新書)で、そうした「罪悪感」の深層について解説し、日々の仕事やくらしが楽になるヒントを提示しています。今回は、本書の中から、他人に責められたときの対処法についてご紹介します。>>
※本稿は片田珠美著『自分を責めすにはいられない人』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
「自分はダメだ」と落ち込む前に……
他人から責められたとき、「自分はダメだ」と思いやすい。責められるだけの正当な根拠があることもあれば、ちゃんとした根拠もないのに責められることもあるだろう。
あなたを少しでも向上させようとして親切心から責める人もいれば、あなたの心に罪悪感をかき立てるためだけに責める人もいるだろう。
いずれにせよ、他人から責められたら、われわれはだいたい次の3つの形で反応することが多い。
A 自分が責められているという事実にも、責められている理由にもほとんど関心を向けない。少なくとも表面上はそういうふうにふるまう。
これは、自分に投げつけられる非難や叱責を否認し、聞く耳持たずという姿勢を誇示するためであり、一種の防衛にほかならない。問題を直視することも、責任を引き受けることも、罪悪感を覚えることも拒否したいがゆえのふるまいであり、常にこういう反応をする人は、「自分はダメだ」と思わずにすむようだ。
B 他人から責められていることに耳を傾け、非難や叱責の対象になっている点については直したり改善したりして、現実適応のための努力をできるだけ積み重ねようとする。
他人から責められていることが、日頃自分でも薄々気づいていることと一致していれば、より一層「自分はダメだ」と思うだろう。耳が痛いだろうが、核心をついている可能性が高い。
C 他人から非難されたことを真に受けて、強い罪悪感を覚え、「自分はダメだ」と自分を責め続ける。こういうふうになりやすいのは、何でも完璧にしないとダメという完璧主義にとりつかれている人である。
場合によっては、正当な根拠がないにもかかわらず、あなたを責め続けて罪悪感をかき立てる人が周囲にいて、そのせいであなたが自責感にさいなまれるような場合もあるかもしれない。
これら3つの反応の中で、当の本人が一番心穏やかでいられるのはAだろう。
そもそも、罪悪感にさいなまれずにすむようにするための防衛メカニズムなので、当然かもしれない。ただし、他人の目には面の皮が厚い責任逃れの達人にしか見えないかもしれず、その結果さらに非難や叱責を受ける羽目になるかもしれない。そのため、長い目で見ると、本当に得かどうかは、はなはだ疑問である。