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生き方

忍耐から生じる徳に勝るものなし~鍵山秀三郎

『衆知』編集部

2016年07月08日 公開 2024年12月16日 更新

人は時として、絶体絶命の窮地に陥ることがあります。私も幾度となくそのような経験をしてきました。その中で、忍耐の大切さを学びました。

以前、資金繰りに行き詰まった取引先の経営再建を手伝ったことが原因で、いわれなき災難に遭ったことがあります。ヤクザに無理やり連行されて、約25時間も監禁されたのです。

私は6人のヤクザに取り囲まれ、恫喝され罵声を浴びせられました。そればかりか灰皿や花瓶を投げつけられ、カミソリで服を何カ所も切られました。それでも動じなかったので、ヤクザは私の顔面に何度も唾を吐きかけました。

その時、私は泰然自若として、滴り落ちる顔面の唾を拭わず、乾くまでひたすら耐えました。そのため、ヤクザもさじを投げて私を解放してくれました。

なぜ、そのような極限状態でも耐えられたのか。それは、中国の言葉「唾面自乾(だめんじかん)」を知っていたからです。「唾面自乾」とは、たとえ顔に唾を吐きかけられても拭かず、自然に乾くまで待て、という意味。私はこの言葉に救われました。

また、企業を経営する中で、「会社が倒産するかもしれない」という地獄の日々を過ごすこともありました。それは「背水の陣」というより、「水中の陣」といったほうがいいかもしれません。わが身を水中において、少しでも水かさが増せば、溺れ死ぬという状況です。そのような苦難にも耐え続けました。

私にとって忍耐とは、弦を限界まで引っ張り続け、思い切り矢を放つ感覚に似ています。私自身はどんな屈辱にも耐える自信があります。

許せないのは、社員が傷つけられたり、惨めな、辛い思いをさせられることです。そんな時は、たとえ相手が主要取引先であっても、取引から撤退の決断をします。その結果、会社が倒産するかもしれません。それでも一度決めたら、梃子でも動きません。

しかし、人は追いつめられると、今まで気づかないことが見えてきます。その結果、続々とヒット商品が生まれたり、新しい戦略に転換したりと活路を見出すことができました。

人生の修羅場・土壇場・正念場によって培われた忍耐は、私を人間としてたくましく、成長させてくれました。

仏教に「忍の徳たるや 持戒苦行(じかいくぎょう)の及ばざる所なり」(忍耐から生じた徳は、厳しい修行から得た徳でも到底及ぶところではない)という教えがあります。

まさに、穢土の一日の修行は、深山の千日の修行に勝るということかもしれません。

※マネジメント誌『衆知』2016年7・8月号、鍵山秀三郎「PHP言葉志録」より転載。

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