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近江商人に学ぶ商いの原点~「三方よし」と「恕」の心

童門冬二(作家)

2016年03月08日 公開 2024年12月16日 更新

『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』Vol.10 より

 

自分の中の人間の原点を掘り起こせ

お客様に喜んでいただくこと、取引先と共存共栄すること、適正利益を確保すること、社会にプラスを与えること、みずからが喜びを感じて仕事ができること、そして、新しい商品・新しいサービスを発意し続けること。松下幸之助が大事にし続けたこれらの考え方は、実は400年以上も前から、全国を行商した近江商人たちが実践していたことでもあった。そしてそれは、商売にとどまらない、人間としての生き方を示す理念でもあった。

 

近江商人の行動原理はヒューマニズム

 私がライフワークとして掲げるテーマの1つに「日本人の心」があります。それを最も分かりやすい形で書いたのが、内村鑑三の『代表的日本人』(初版1894年)で、そこに登場する人物の中に、「近江聖人」と呼ばれた学者の中江藤樹(1608~48)がいます。

 藤樹が暮らした琵琶湖畔の小川村(現在の滋賀県高島市安曇川上小川)には、藤樹が地元の人々に学問を教えた「藤樹書院」が残っていて、その門前の小さな水路には緋鯉が泳ぎ、流れの中に据えられた台の上には盆栽が並べられています。聞けば、この町では、「藤樹先生の精神を生かして町を美しくしよう」という活動が続けられているという。この活動の中に息づいている心こそが、私の追いかけている「日本人の心」であり、それを行商という形で日本中に広げていったのが「近江商人」です。

 ひとくちに近江商人といっても、これは滋賀県内の日野、近江八幡、高島、五個荘(現在の東近江市)、豊郷などを拠点にしていた商人の総称です。それぞれの地域では「地域自治」が確立され、同じ近江でも地域ごとにアイデンティティが違いますし、特産品も異なりました。人々のよりどころも、日野商人は戦国武将の蒲生氏郷、八幡商人(近江八幡)は豊臣秀次、湖東商人(五個荘、豊郷)は浄土真宗とさまざまです。しかし、彼らには共通してみられる考え方があり、それが今日、「近江商人のスピリット」と呼ばれているものです。

 近江商人と上方(大坂)商人の違いを考えたとき、上方商人の特性は、井原西鶴が『日本永代蔵』で書いている「始末、算用、才覚」に尽きます。始末とは倹約のこと、算用とは財政を重んずること、才覚とは「いくら始末をしても勘定が合わないときの自己努力」のことをいいます。上方は商人としてのテクニカルなものは非常に発達したけれども、ハートやスピリットがやや欠けていた。それに対し近江商人は、自分たちの実践哲学を持ち、自身がその実行者であったところが違うように思います。

 その端的な例が、近江商人は東海道ではあまり商売をしなかったことです。代わりに中山道を選んだ。中山道は山谷が多く、東海道に比べて未開の地だったためと考えられます。インフラが整ったところにはだれかが行くし、人々のニーズも満たされているということでしょう。そこには、中山道で需要という鉱脈を掘り当てようという商売上の理由もあったと思いますが、もう1つ、ほしくても手に入らない人たちに品物を届けてあげようという一種のヒューマニズムもあったのではないでしょうか。行き届いているところから、行き届いていないところへ運ぶことによる格差是正です。

 近江商人が、中山道や、さらに先の東北まで行ったのは、そこに物だけでなく情報に対するニーズもあったからです。特に京都や大坂など中央に関する情報への欲求が高く、山里に暮らす人たちは行商人が来るのを待ちわびていたといいます。たとえそこに多少の誇張が混じっていたとしても、近江商人がもたらす中央の情報はありがたいものだったはずです。

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「三方よし」こそ日本人が持つ美しい心

著者紹介

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

作家

1927年東京生まれ。東京都職員時代から小説の執筆を始め、’60年に『暗い川が手を叩く』(大和出版)で芥川賞候補。東京都企画調整局長、政策室長等を経て、’79年に退職。以後、執筆活動に専念し、歴史小説を中心に多くの話題作を著す。近江商人関連の著作に、『近江商人魂』『小説中江藤樹』(以上、学陽書房)、『小説蒲生氏郷』(集英社文庫)、『近江商人のビジネス哲学』(サンライズ出版)などがある。

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