孫正義「最も重要なのは志と理念」…思考の壁を破る起業家の言葉
2011年12月14日 公開 2022年01月18日 更新
カニのように、横に逢ってでも前進せよ。
江崎利一(1882~1980):グリコキャラメル開発・江崎グリコ設立
江崎利一は、佐賀県神埼部蓮池村(現在の佐賀市)で生まれた。生家は薬屋だったが生活は苦しく、小学校にも満足に通わせてもらえなかった。
高等小学校だけは卒業できたが、父親が急逝。家には莫大な借金が残された。江崎は薬の販売や書類の代書などを続け、その借金をわずか数年で完済。だが、日露戦争が始まり、看護兵として参戦。翌年には負傷して帰還した。
商売を再開した江崎が目をつけたのは、地元から空のまま大阪へ送り返されるというワインの空き瓶だった。「送り返すだけなんて、もったいない」と考えた江崎は神戸からワインを仕入れ、その空き瓶に詰めて販売しはじめた。
その後、江崎は牡蠣(かき)の干し身を作る際に捨てられていた煮汁にグリコーゲン(肝臓や筋肉などに含まれる多糖類の一種。エネルギーの源ともいわれる)が大量に含まれていることを知り、キャラメルに混ぜて販売することを思い立った。
当時、すでにキャラメルは森永製菓や明治製菓などから発売され、周囲からは強い反対を受けた。しかし、「ウチのキャラメルは、ただの菓子ではなく栄養菓子だ」という自負から販売を決断。
1921年に「合名会社江崎商店」を設立し、翌年から「グリコ」という名前でグリコーゲン入りキャラメルの販売を始めた。
当初は商品を置いてくれる売り場さえなかった。売り上げが少しずつ伸び始めた後には、「まずい」「陳列中に溶けてしまって売り物にならない」という苦情が寄せられた。会社はつぶれる寸前で、江崎は川に飛び込んで死のうと思ったこともあったという。
商品を改良し、商売が軌道に乗り始めたのは、発売から三年後である。1929年に株式会社に改組すると同時に、利一は社長に就任する。そして、キャラメルにおまけを付けることによって、さらに売り上げを伸ばしていったのである。
目の前に大きな壁が立ちはだかってにっちもさっちもいかなくなる場合がある。こんなときは正攻法ではなく、いままでとはまったく違ったアプローチ――たとえば、カニのように横に這って突破口を探してみるといい。視点を変えると、思わぬ道筋が見えてくる。