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幸福をもたらす「愛する技術」~『嫌われる勇気』著者・岸見一郎から学ぶ

岸見一郎(哲学者)

2018年02月20日 公開 2024年12月16日 更新


 

たとえ誰からも愛されなくても、隣人を愛しつづけよ! 

恋愛を通じて幸せになるためには、「いかに愛されるか」ではなく「いかに愛するか」を考えなければならず、その「愛する技術」を正しく学べば、我々は愛の経験を通じて幸福になることができる……。

そう語るのは、世界で400万部を超える超ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者であり、アドラー心理学ブームの火付け役である岸見一郎氏だ。岸見氏が「ずっと書きたいテーマだった」と語る、2月15日発売の新刊『愛とためらいの哲学』(PHP新書)から、一部を抜粋して紹介する。
 

誰かと比較するのは、本当の愛ではない

「あの人は嫌いだが、あなたは好き」という人がいます。他の人を愛さないことが、相手を愛していることの証明だといわんばかりです。しかしこれは、本当に愛していることの証明になるのでしょうか。

エーリッヒ・フロムは人を愛することは能力であるといいました。この能力は特定の誰かだけを対象にするものではなく、他の人を排除するわけでもありません。よい喩えではないかもしれませんが、これは自転車に乗る能力に喩えることができます。

自転車に乗る能力がある人は、どんな自転車にでも乗ることができます。もちろん、この場合も自転車の好き嫌いはありますが、どの自転車に乗るか選ぶためには、自転車に乗る能力があることを前提にしています。

愛の能力もこれと同じです。「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」という人は、愛する能力を持っているとはいえません。
 

猫好きな人は、どんな猫をも愛する

強いていえば、「あの人もあなたも好きだが、あなたのことがより好き」ということはできます。このように比較していいのかという問題は残りますが。そもそも、「あの人は嫌いだが、あなたは好き」といわれても、少しも愛されている気がしないのではないでしょうか。なぜなら、そのようなことをいう人が、いつ何時同じ言葉を他の人に向けることになるかと思わざるをえないからです。インドの宗教哲学者、ジッドゥ・クリシュナムルティはこんなことをいっています。

「誰かを大いに愛している時、その愛から他の人を排除するのでしょうか」(『子供たちとの対話』)

クリシュナムルティもフロムと同じように、誰かを愛する時に、他の人を排斥する必要はないといいたいのです。プラトンはソクラテスに、酒を愛する人たちはあらゆる酒をあらゆる口実で歓迎すると語らせています(『国家』)。銘柄にこだわる人は、その銘柄の酒を好きなだけで、本当の好きとはいえないということでしょう。

猫好きであるという哲学者の左近司祥子は、このソクラテスの言葉を受けて、猫が好きなら汚れている野良猫も、ふわふわのペルシア猫も、どんな猫もかわいいといっています(『本当に生きるための哲学』)。本当に猫が好きなであれば頷けるでしょう。

この伝でいえば、「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」という人は本当には人を愛しているとはいえないことになります。
 

隣人愛は可能か

先に引いたクリシュナムルティは、「初めに愛の感情があり、それから特定の誰かへの愛があるのではないですか」といい、全般的な愛と、特定の誰かへの愛を区別しています。まず人を愛せなければ、つまりフロムのいう愛する能力がなければ、個々の人を愛することもできないのです。

アドラーの愛についての考えは、イエスが聖書の中で説いている「敵をも愛せ」という隣人愛に近いものですが、甘やかされて育った子どもは「なぜ私は隣人を愛さなければならないのか。私の隣人は私を愛しているのだろうか」と問うとアドラーはいっています(『人生の意味の心理学』)。しかし、甘やかされて育った人でなくても、他の人が自分を愛してくれるわけでもないのに、どうして私が他の人を愛さなければならないのかと問いたくなることでしょう。

アドラーと共同で研究をしていたフロイトは、イエスの隣人愛には疑問を抱いていました。実際、もしも「汝の隣人が汝を愛する如くに、汝の隣人を愛せよ」なら異論はないといっています(Freud, Das Unbehagen in der Kultur)。しかし、もしも私を愛してくれるのなら、私もあなたを愛するというのは、誰にでもいえることです。

フロイトは、隣人愛を「理想命令」であり、人間の本性に反しているとまで考えていました。見知らぬ人は愛するに値するどころか、敵意、さらには憎悪を呼び起こすとまでいっています。

「なぜそうすべきなのか。そうすることが何の役に立つのか。何よりも、この命令をどのように実行するのか。そもそも実行できるのだろうか」

しかし、成熟したライフスタイルを持ったアドラーは、フロイトのこのような問いを、愛されることばかり考えている人の問いであり、たとえ誰からも愛されなくても私は隣人を愛そうと一蹴しています(『人生の意味の心理学』)。

たとえ理想的な愛のあり方が現実とはかけ離れたものであったとしても、愛はこうあるべきだという理想を知っていれば、現実の愛のあり方を変えうるということを指摘しておきます。とてもそんなふうに人を愛することはできないと思っても、理想は現実とは違うから理想なのであり、理想こそが現実を変えることができるのです。

著者紹介

岸見一郎(きしみ・いちろう)

哲学者

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古典哲学、とくにプラトン哲学)と並行して、89年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学やギリシア哲学の翻訳・執筆・講演活動を行なう。著書に『アドラー心理学入門』(ベスト新書)やベストセラーとなった『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)など多数。

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