自分の好きなことにどう向き合うか
信州青木村には信州昆虫資料館がある。
青木村で唯一の医師、小川原辰雄さんが標本と施設を寄付され、現在は村営となっている。二〇一七年の四月から八月まで、ここで鳩山邦夫追悼展が行なわれた。
鳩山さんがたいへんな蝶好きだったのは、知る人ぞ知る。
じつは鎌倉蝶話会というのがあって、いまのところ隔年、この場所で会合を持つ。二〇一七年は第十一回だった。
蝶話会は鎌倉で結核の療養をされていた磐瀬太郎氏のもとに集まった、当時は高校生・大学生だった人たちの会である。磐瀬氏は蝶の大家だった。そこに蝶好きがひとりでに集まった。
昭和二十年代のことである。その生き残りの会だから、当然ながら老人の集まりになってしまう。でも若い人が来ないわけではない。強いて集めないだけである。
会員は医師が多い。研究者もいるし、企業を定年退職した人もいる。いずれも若いころから蝶が好きだった。
でもそれぞれの分野で働き、歳をとるとともに時間ができたので、蝶の研究に戻ったわけである。磐瀬太郎氏は横浜正金銀行の重役だった。
好きなことをするためには、世間と適当にお付き合いして、糊口をしのがなければならない。私の時代には、それはそれぞれが個人的に解決することだった。
では、現代はどうか。
糊口をしのぐのが楽になったから、好きなことに専念したくなる。そういう人が増えたのかもしれない。
でも、そこで世間とあらためてぶつかることになる。ほとんどの若者が現在は仕事に就くことができる。その状況で、自分の好きなことに対して、どう向き合えばいいのか。
昆虫館の集まりには、小・中学生も来ていた。
このところ、夏になると、私はこうした子どもたちの虫採りのお相手をする。私自身がそうだが、虫採りのような趣味は一生続く可能性が高い。だから子どもの相手をする。
私も小学生のときに、かつて東大や北大で昆虫標本の面倒をみておられた、三橋信二さんという方のお宅にお邪魔した。たった一度、お会いしただけである。でもそれが一生忘れられない思い出になっている。
信州昆虫資料館には、子どもを連れたお母さんが来ていた。当然ながら虫好きでは先行きが心配だという。医師にでもなってくれればいいが。私の母親もそう言っていたから、気持ちはよくわかる。
だから私は医学部に入った。医師免許まで取得したが、医師の資格を使ったことはほとんどない。