理不尽な指導を受けて自殺した生徒が感じていたこと
また、直接的な暴力でなくても、心理的な加害の影響も軽視してはいけません。ここ数年、「指導死」という言葉を耳にすることが増えました。
直接的に暴力を振るう体罰ではないのだけれども、理不尽で不適切な指導を行うことによって児童・生徒を自殺に追い込んでしまうような事件が相次いでいるのです。
そうした問題を解決するために、「指導死親の会」という団体を立ち上げて啓蒙活動をしている方もいらっしゃいます。
理不尽な指導を受け、自殺をしてしまった生徒たちの手記を見ると、他の生徒たちの前で叱咤されたり、濡れ衣を着せられるなどして、大きな辱めを受けたことにより、「もうこの場にはいたくない」と感じていたことがわかります。
そしてそれが「この世にいたくない」という気持ちに発展してしまうのです。
子どもにとって、「家」と「学校」というのは、居場所として非常に大きなシェアを占める場所です。学校に居場所がなくなると、社会的な接点がかなり制約されてしまいます。
みんなの前で辱めを受けたり、つるし上げられたりすることによって、「みんなから嗤われる存在になってしまった」という自尊心の低下を招いてしまい、それが不登校、自殺につながってしまうわけです。
理不尽な指導は、それを受ける本人の気持ちだけでなく、周りの生徒へも影響をもたらします。
「あの人また怒られている」というからかいのキッカケを与えたり、「あの子にならこういうことをしても許されるだろう」というラベリングを促したりすることで、いじめを助長してしまうのです。
そうした指導のあり方を見直していかなくてはいけません。
飲み物を飲んではダメ、スマホ持ち込み禁止…行動を制限され増大するストレス
学校ストレスを考える、という点において、学校の先生の役割は、非常に大きい。抑圧的な態度をとる教師のいる教室ではいじめが多い教師の抑圧的な態度がいじめを助長する、というデータもあります。
例えば先の鈴木論文では、服装や髪型指導を厳しくする教室とそうではない教室とを比べた場合、厳しい先生のもとで授業を受けた児童・生徒は、より頻繁にいじめを経験する傾向があると指摘されています。
服装や髪型を指導する先生というのは、同じく他の指導も厳しく行っているでしょう。荒れているから指導が厳しくなるのか、厳しいから荒れるのか。因果関係については、いずれの方向もありえますが、過剰なルールが様々なストレッサーになっていくことは容易に想像できます。
そもそも、学校への携帯電話の持ち込み禁止や、授業中に飲み物を飲んではいけない、といったようなルールは、なかなかに理不尽なものです。他にも、出歩きや漫画の持込みを禁止しているのも同様です。
こうした過剰なルールが存在するのは、何かトラブルがあった時に教師が対処しなくてはならないのが面倒だからなのでしょうが、そこまで先生が責任を持たなくてはならないのかという思いもあります。
事故や盗難があったら、それは警察が対処すべき問題だと割り切ってしまえばいいのですが、日本には「学校で起きたトラブルは学校内で対処する」という習わしがあります。
しかし、それが結果的に、教室空間における生徒のストレス発散を妨げているという現状は、今後議論されるべき問題だと感じています。
本記事は荻上チキ著『いじめを生む教室』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。