戦時下、愛国心と仏像が交錯した――「日本精神」論と古美術をめぐって
2018年08月14日 公開 2018年08月14日 更新
<<本稿は碧海寿広著『仏像と日本人-宗教と美の近現代』(中公新書)より一部抜粋・編集し作成したものです。>>
仏像の美術的価値を決定づけた和辻哲郎の『古寺巡礼』
仏像鑑賞を趣味とする人は少なくない。奈良や京都などの古寺や、博物館での展示会に通って、さまざまな仏像の美しさに見惚れ、それらを取り巻く歴史を知る。
あるいは、入門書で仏像の見方を学び、仏像写真集を楽しむといった趣味である。
拙著『仏像と日本人―宗教と美の近現代』(中公新書)で跡づけたとおり、この種の趣味が日本に広がりはじめたのは、おおよそ100年ほど前の大正期であり、定着したのは、戦後になってからである。考えようでは、つい最近に出来たばかりの新しい文化であるとも言える。
明治期にフェノロサや岡倉天心といった人々が、日本の一部の仏像を、世界に誇るべき美術品として高く評価する。これにより、それまで基本的に信仰の対象であった仏像が、「日本美術」として、従来とは異なる特別な価値を獲得した。
日本美術としての仏像の価値を決定づけたのが、1919年に岩波書店から出版された、和辻哲郎の『古寺巡礼』だろう。
仏像の美しさをどう語ったらよいか、その模範を見事な文章をとおして伝え、多くの読者に恵まれてきた。
だが、その『古寺巡礼』が、ときに白い目で見られ、あまつさえ、一度は絶版に追いやられた時期があった。昭和の戦時期、とりわけ太平洋戦争(1941~45)の開始以後である。いったい、なぜだろうか。
愛国心をあおる道具として利用された仏像
戦時期にも、日本美術としての仏像には、大きな価値が認められていた。当時、日本美術が「日本精神」を体現する重要なモノとして称揚されたからである。
国民を戦争へ動員するにあたり、国内の優れた美術品が、愛国心をあおるための道具として利用されていたのだ。いわゆるプロパガンダの一種である。
たとえば1942年12月、奈良時代の彫刻(仏像)や建築(寺院)などの文化について、複数の研究者が専門ごとに執筆した著書である、『天平の文化』(朝日新聞社)が再版された。
1928年に昭和天皇の即位大礼を記念して刊行された後、しばらく絶版になっていた本だが、「大東亜戦」の開幕後に、今こそ「日本文化を中外〔国内外〕に光輝あらしむべしとの声」がわき起こったため、再版したと説明されている。
同じく1942年の1月に刊行された『奈良叢記』(駸々堂書店)には、古美術研究者の小島貞三が、評論「佛像礼賛」を寄稿。仏像鑑賞の方法を平明に解説したその文章は、次のような提言で締めくくられる。
「美術の鑑賞、それは有閑者の暇つぶしに終ってはならぬ。美術は最も端的に、最も純粋に精神を表現する―時代の、民族の吾々は須く日本精神の真のすがたを、日本美術に於て確把し、日本臣民として自己の力を確認すべきではあるまいか」。
こうした小島の主張は、やや唐突な印象もうける。時代の雰囲気にあわせて、とってつけたような感じがするのだ。とはいえ戦時下には、仏像をはじめとする古美術が、この種の「日本精神」論によって包囲されていたのは、確かである。