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生き方

日本仏教の開祖・親鸞

梅田紀代志(画家)

2011年04月16日 公開 2021年05月27日 更新

「阿弥陀如来を信じて念仏を唱えれば、だれでも極楽浄土に行ける」。そう説いた法然の教えをさらにおしすすめた聖人・親鸞――。彼は煩悩のおもむくままに「悪」をなした人でも、念仏を唱えれば極楽往生を遂げられると説き、浄土真宗を開いた。本稿ではいかにして「絶対他力」の境地に至ったかを当時の社会情勢を振り返りながら紹介する。

※本稿は、梅田紀代志著『<絵でみる伝記>日本仏教の開祖たち 親鸞』より一部抜粋・編集したものです。

 

インドからアジア東部に広まった仏教

親鸞の開いた浄土真宗は、その師・法然の開いた浄土宗とともに、浄土教という仏教の一宗派から生まれました。

もともと仏教は、今から2500年ほど前、古代インド北東部にあったマガダ国でゴータマ・ブツダ(釈迦)によって創始されました。初期の仏教は、この世を無常なものとし、俗世から出家して修行することで生老病死という4つの苦から逃れようとするものでした。

しかし、釈迦の死から数百年後、インドでは仏教を一つの大きな船(大乗)に例えて、俗世から出家した僧侶だけでなく、より多くの人々を救済しょうとする大乗仏教が誕生しました。

大乗仏教は、インド北方のガンダーラ地方に伝わり、中国、朝鮮を経て日本へ伝来したことから、北伝仏教とも呼ばれています。日本に伝来した年代は、538年とも552年ともいわれています。

一方、修行によって悟りを開こうとする仏教は、南方へと伝わり、現在のスリランカを経て主に東南アジア方面へと伝わりました。これを上座部仏教あるいは南伝仏教といいます。

こうして、仏教は、インドから南北に分かれてアジア東部全域に広まり、キリスト教やイスラム教と並ぶ世界三大宗教の一つに数えられるようになったのです。

 

大乗仏教の中から生まれた浄土教

さらに紀元前後には、インド北西部のクシャーナ朝で大乗仏教の中から阿弥陀如来の本願を信じてひたすら念仏を唱えるという浄土教が生まれます。その教えを説いた経典が「浄土三部経」です。浄土経は、北伝仏教の一つとしてインドから中国を経て、奈良時代には日本へもたらされました。

日本に伝わった浄土教は、当初あまり振るいませんでした。仏典や経文を読み、厳しい修行をして悟りを開くことが、本来の仏教の務めとされていたからです。しかし、平安時代中ごろには、釈迦の死から2000年後には、仏法がすたれて災いが起こるとする末法思想が流行しはじめます。

飢饉・大地震・戦乱など、末法の世の到来を思わせる災いが続くと、阿弥陀如来の住む極楽浄土への生まれ変わりを願う浄土信仰が盛んになりました。なかでも源信(恵信僧都)が『往生要集』を著して浄土信仰の正しさを示すと、貴族たちの間では浄土教が広く信じられるようになったのです。

 

仏教を庶民の間に広めた「法然と親鸞」

平安時代末期には、法然が浄土教をもとに阿弥陀如来の本願にすがって念仏を唱えるだけで極楽往生を遂げることができると唱え、浄土宗を開きました。

阿弥陀如来とは、48の願を立てて修行を重ね、仏となって極楽浄土に入ったとされる仏です。48の願のうち第18願は、「私(阿弥陀如来)を信じて、一心に念仏を唱えるならば、すべての人を極楽浄土へと導こう」というものでした。

法然の弟子・親鸞は、法然の教えをさらに徹底させ、煩悩のおもむくままに悪をなした人でも阿弥陀如来を心から信じて念仏を唱えると、極楽往生を遂げることができると説いて浄土真宗を開きました。

こうして、親鸞の開いた浄土真宗は、それまで仏教と縁のなかった地方武士や農民などに広く受け入れられ、日本全体に仏教を深く根付かせる役割を果たしたのです。

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生と死の境をさまよい生きた民衆

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