【松井大輔】日本人サッカー選手の海外移籍 最初の国はどこが理想?
2018年09月11日 公開 2018年09月20日 更新
日本のサッカー選手が模範にすべき岡崎慎司のキャリア
一方のオカは、堅実に右肩上がりのキャリアを描いて、イングランドまで飛躍した。他の日本人選手が学ぶべき、模範的なルートを歩んだ選手と位置付けていいと思います。
24歳のオカが最初に赴いたのはシュツットガルト。僕がル・マンの後に行くかもしれなかったクラブなので、スタジアムや練習環境、町の様子はよく分かっています。
背後にメルセデス・ベンツのメーカー、ダイムラーがついているので、資金力は間違いなく高い。過去にブンデス王者に輝いたこともある。本当にいいクラブで欧州での重要な第一歩を踏み出したなと感じていました。
シュツットガルト時代のオカはサイドアタッカーのポジションで起用されることが多くて、得点を思うように取れず、ストレスを感じていたのではないかと思います。
それでも、攻守におけるアグレッシブな動き、労を惜しまない献身的な走りに目をつけてくれるクラブがあった。それがマインツです。
指揮を執っていたトーマス・トゥヘル監督(現PSG監督)もハードワークを厭わないオカのようなタイプの選手がほしかったようで、マインツに行ってからの彼はまばゆいばかりの輝きを放っていました。
ドイツ・ブンデスリーガ1部で2シーズン連続2ケタゴールなどという実績はそうそう残せるものではない。オカの際立った仕事ぶりは、今もドイツサッカー界にしっかりと刻まれていると思います。
2015年夏に長年の念願だったプレミアリーグのレスターに行った後も、試合に出られるかどうかで苦しむ可能性もあったはずです。にもかかわらず、彼は自分らしさを貫いて、レギュラーを獲得し、プレミアリーグ王者獲得に貢献してしまった。そのサクセスストーリーは誰もが知っているでしょう。
イングランド3シーズン目の今はケガもあって苦しんでいますけど、根っからの明るさと前向きさがオカの大きな強みになっている。それは他の日本人選手も参考にすべき部分だと強調しておきたいです。
「日本人の成功の早道はドイツへ行くこと」
真司とオカの2人によって、こういった成功の法則ができあがったといっても過言ではないような気がします。
それに倣って、20代前半だった原口君や宇佐美君、関根貴大(ベルギー・ジュピラー・プロ・リーグ・シントトロイデン)君や鎌田大地(同)君がドイツ行きを選択しています。
時代が変わり、ヨーロッパであればどのリーグでもスカウトの目に留まるように
しかしながら、外国人枠のないドイツをファーストステップにしようと考える他国の選手も多くなり、日本人選手がいきなり活躍するのも難しくなってきました。
そんな流れが影響したのか、南野君のようにオーストリアへ行く選手、森岡亮太君のようにポーランドへ行く選手、中島翔哉(ポルトガル・プリメイラリーグ・ポルティモネンセ)君のようにポルトガルを選ぶ選手も出てきました。
南野君はすでに4シーズンを過ごして、そろそろ提携クラブであるドイツのライプツィヒへステップアップしてもいい頃のようにも感じますが、契約延長をしたと報道で知りました。
森岡君の方はポーランドで1年半を過ごした後、ベルギーへ行き、ワースラント・ベフェレンからビッグクラブのアンデルレヒトへのステップアップを果たしました。
中島君もポルトガルの名門・FCポルトやドイツ、スペインへ行く話が浮上している様子。今の時代は欧州のどこかで活躍していれば、必ずスカウトの目に留まるようなシステムになってきたと実感します。
つまり、オランダやドイツをファーストステップにしなくても、自分次第で道は開けるということなんです。
もちろん監督やチームメートとの巡り合わせや環境適応など、さまざまな要素が絡み合ってくるのは確かですが、目に見える結果を出していれば、どこのリーグに行ったとしても、チャンスは転がっているのです。
僕自身もそう考えたから、フランスの後、ブルガリア、ポーランドといった主要リーグでない国を選択しました。それぞれ思い通りにはいかなかったけど、同じチームの選手がドイツなどに引き抜かれていく姿は何度も目の当たりにしました。
やはり一番重要なのは「サッカー欧州人」になること。
欧州で一旗揚げようという野心があるなら、その大きなマーケットに飛び込まなければ何も始まらない。それだけは紛れもない事実だと思います。
※本記事は、松井大輔著『日本人が海外で成功する方法』(KADOKAWA刊)より、一部を抜粋編集したものです。