教養なき言葉は死を招く
松陰の教えに感化されて、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋といった人材が時代変革の大きな渦の中に身を投じていったように、言葉は人の心をつかみ、奮い立たせ、行動に駆り立てる力をもっています。
その影響力が人の一生を左右してしまうことだってめずらしくないのですから、言葉はきわめて大切なものであると同時に、とても恐ろしいものでもあります。
その言葉の恐ろしさを、みずからの体験を通じて痛切に味わった人に、『暮しの手帖』を創刊した花森安治氏がいるかもしれません。NHKのテレビ小説のモデルにもなりましたから、ご存じの人も少なくないでしょう。
花森氏の言葉をめぐる活動は日本の敗戦をはさんで、その性質を一変させます。
戦前の氏は、国策に沿って国威発揚のための広告活動にたずさわっていました。たとえば戦時下、国民に戦意高揚を促した有名な標語のうち、「欲しがりません、勝つまでは」は花森氏の手によるものという説があります。
しかし、敗戦とともに、氏はその時局に同調した行為を猛省して、みずからを断罪する必要に迫られます。扇動的な言葉を使って国民の戦意をあおったこと、言葉を通じて無謀な戦争に加担したこと。その罪悪感にさいなまれて、もう二度とペンをとらない決意をするのです。
やがて大橋鎮子氏とともに『暮しの手帖』を立ち上げ、こんどは徹底して生活者の側に立って、身近な暮らしや女性の生活向上に役に立つ情報を広く読者に提供することに力を注ぐようになります。
企業からの広告をいっさい載せず、あくまで中立な立場から商品の使用実験などを誌上で展開する。そんな同誌のユニークな編集方針には、おそらく戦前、言葉を介して安易に国策に便乗した自分の行為への反省が込められていたのでしょう。
言葉が使いようによっては、人びとをあざむき、誤った方向にも導き、ときには命まで奪いかねない。そうした言葉のもつ恐ろしさを、戦後の平和の中でジャーナリストとして活動しながら、氏はいつも心の底に感じていたに違いありません。