妻サッチー逝去から1年 野村克也氏が語る「残された夫のひとり暮らし」
2018年12月07日 公開 2020年02月14日 更新
「ひとり」になる前に家訓をつくる
先ほど、何かあるたびに「サッチーならどうしたか」と思いを巡らすと述べた。夫婦というものは、よっぽどのことがないかぎり、必ずどちらかが先に逝く。縁あって出会い、ふたりになった男と女(場合によっては男と男、女と女もあるかもしれないが)は、最後は必ずひとりになる。
だからこそ、どちらかが「ひとり」になる前に、ふたりのルール、家訓めいたものをおたがいの心と体に染み込ませておくことが大切なのではないだろうか。
もちろん、遺産をどうする、墓はどうした、といったことも重要だが、まずはこうした「心の拠り所」をつくっておくことも大切ではないか。家庭のなかでなんとなくぼんやりと共有されていることも多いだろうが、一度改めて夫婦で話し合ってみてもよいのかもしれない。
以下に、配偶者に先立たれたあと、どのように生きていけばいいのか、「野村家のルール」を紹介しながら、私なりの提案をしていきたいと思う。
【野村家のルール1】亭主手持ち無沙汰で、いいことなし
「死ぬまで働け」
サッチーはそう言って、私を最期まで働かせ続けた。「人間は働いて脳を活性化させていないと、早く老け込んでしまう」というのがその理由だった。
「亭主が家で手持ち無沙汰でうろうろしていたら、家のなかは真っ暗になるし、そのうち病気になってしまう」
そうも言っていた。「だから私はあなたを休ませないの。これも内助の功のうち、妻の愛よ」と……。
ほんとうに内助の功や愛情からそうしたのかは知らないが、まあ、おかげでいままでもってきたのは事実だろう。仕事があったからこそ、彼女に先立たれても寂しさをまぎらわすことができた。
配偶者に先立たれ、ひとりになったとき、「するべきこと」があるかどうかは非常に重要な問題だ。これは私の実感である。
新聞で読んだのだが、近年は還暦を超えてから起業する人が増えているそうだ。2012年に起業した約22万3,000人のうち、32%を60歳以上が占めるのだという。50代も含めれば、じつに47%にも上るという統計があり、こうしたシニア層の起業をサポートする会社もあるそうだ。
昔なら定年後は「余生」だったが、いまの平均寿命は80歳を超える。「余生」はまだ20年以上もあるわけだ。体力的にはまだまだ余力があり、働きたいという希望も意欲もある人が増えた一方、再就職はままならない。そこで退職金の一部を利用して「起業しよう」というわけだ。記事によれば、起業家における50代以上の割合は、1992年は26%で、その後20年で倍増したそうだ。
なかなか勇気が湧いてくる話ではないか。
50代以上の起業家のなかには、「第二の人生は、世のため、人のためになる仕事がしたい」と考えて会社を興す人も多いという。すばらしいことだと思う。
それまでの経験、ノウハウ、人脈を活かすことは誰もができることだろう。その方法を考えておけば、実り多い有意義な「余生」を送れると思う。