先入観や勘違いを押し付けない
自己評価は甘くなるという点についてはこんなこともありました。
私は以前、日本を訪れる外国人観光客の数をどう増やしていったらいいかという課題を検討するために政府の審議会に呼ばれたことがあります。
そこで、当事者である観光業者や有識者、官僚が参加した議論の内容にどうも的外れな感じを抱いたのですが、何がどう的外れなのか、うまく説明できなくて、われながら内心イライラしていたのです。
その後、『新・観光立国論』(東洋経済新報社)という本を読む機会があって、そのイライラが、霧が晴れたようにきれいに拭われる気がしました。
著者はデービッド・アトキンソンさんという日本在住の英国人。わが国の国宝や文化財に造詣が深く、その保護活動にも熱心な人です。
彼はその本で、観光というものに関する日本人の「勘違い」や問題のありかをズバリ指摘しています。それを読んで私も大いに納得させられたのです。
日本の観光的魅力というと、私たちはすぐに親切な国民性、清潔な街並み、治安のよさ、こまやかで行き届いたサービスなどをあげます。
しかしアトキンソンさんいわく、観光立国の条件とはじつは気候、自然、文化、食事の四つの条件に集約されるものであり、日本はこの四条件をすべて満たす稀有な国でありながら、その観光資源を十分に生かしきれていないと指摘しています。
たとえば、気配りやマナー、サービスや治安のよさなどを利点としてあげるのは、「かなり的の外れた観光アピール」であり、そうしたものを味わうために旅行客はわざわざ十数時間の飛行機に乗ったりはしないといいます。
日本人が誇る「おもてなし」も、アトキンソンさんにいわせると、それだけでは観光の動機としては不十分であり、「観光客を呼ぶ誘因」にはなりえない。
そう述べながら、「日本が『世界に誇るおもてなし文化』ということを世界に向かって声高に叫べば叫ぶほど、外国人は冷ややかになっていってしまうのです」と、日本人にはかなり耳の痛い指摘をしています。
そんな自画自賛的な先入観や勘違いの押しつけをあらためることから始めないと、世界のし烈な観光競争に勝つことはできないのではないか―というのがアトキンソンさんの主張の骨子です。
どうでしょう。長所や優位性だと思い込んでいたことの裏側に潜む落とし穴のようなものをズバリ言い当てられたような気がしませんか。
そうして、自己評価の過大さや甘さを指摘されたような気にならないでしょうか。そう感じるのはきっと私だけではないはずです。