散漫力が読書の幅を広げる
私はもともと集中力がなく散漫なため、読書にも集中できません。読めても一度に十数ページ。私の集中力は、そこで終わりなんです。
でもあるとき、カウンセリングのお師匠からこんなことを言われました。
「名越くんはつくづく集中力がないね。でも散漫力はとてもある。いや、きみの散漫力はすごい。その散漫力を生かして勉強しなさい」
と励ましてくださったのです。
散漫力を読書に生かす──新たな発見でした。
1冊の本をずっと読むという一般的な読み方ではなく、散漫力を発揮しながら高レベルの本や、すらすら意味がわかる本2、3冊をかわるがわる読む。そうすると飽きないだけでなく、「この本とこの本のこの部分を結びつけたら、テーマが深堀りできてすごい見方ができる!」といった発見ができるのです。
世の中には、「つまらない」と思っても無理して読み続ける、生真面目すぎる人が多いのかもしれません。それで読書が苦手になったり、嫌いになったりしてしまうのです。
「つまらない」と思ったら、やめていいんです。
「これ、おもろないわ、やっぱりあっちのほうが面白そう」と思って、全然違う本をまた10ページくらい読んでみる。何冊かの本をあっちこっち行ったり来たりしながら、ようやく読了するわけです。
師匠の言葉が私の読書を変えました。散漫力を発揮することで、読書の幅が逆に広がったのです。
集中力ゼロでも続けられる「三角読み」読書術
散漫力を生かした読書を、さらに進化させた読書術が「三角読み読書術」です。
食事では、「ごはん・おかず・味噌汁」の三角食べが理想的だと、幼い頃よく言われたものです。私の読書は、「読む・考える・書く(ツイート)」の三角読みです。
私は、読書と同時に何かしていないと疲れてしまいます。また、何冊か併読しないと、やっぱり飽きてしまいます。でも、引っかかった言葉や文章については、別の本を読みながらでもずっと頭を巡らしています。
たとえば、「この人の言う『大衆』はこういうことか、僕の思っている大衆とは違うな」とか、「大衆とはなんだろう、大衆はこんなに情緒的なのに何で一つの力にならないのだろう」など、「大衆」というテーマを念頭に置きながらいろいろな本を読んでいると、本Aと本Bが化学反応を起こしてハッとひらめくことがあります。
「そうか、大衆とは言っても大衆同士がわかり合っているわけじゃない。仏教の考えによると、人(つまり大衆)は心が一時も落ち着いていないから、相手の話がまともに聞けていない。だから大衆は実は一人ひとり孤独で孤立しているんだ」と考え、そのことをツイッターに「沈黙とはただ黙ることではなくて、相手に語らせるために黙るのである」などと書くわけです。
それが何人かにリツイートされたり、コメントされたりするのをしばらく見ているうちに、「ツイッターばっかり見てたらあかんわ」と我に返ってまた何ページか読む。するとまた、「ほかの人はどんな気づきがあるんだろう」とふと気になり始めるので、ツイッターを見る。
本を読んでいても原稿を書いていても、けっこう途中でツイートをします。本を読んでいて思いついたことは、ある程度の深度以上のことは覚えておけません。だからツイートとして書き込むという、私にとってツイッターはメモ帳です。
ツイッターに考えを書くことで、いったん頭を真っ白な状態、ニュートラルな状態にしてから、もう一度本を読んだり、原稿を書いたりしています。
原稿を校正するときも、2000字くらいやったらツイッターを見て、「この記事には違和感があるな。自分だったらこう言ってみる」と考えを巡らせてツイートし、また原稿に戻る。
このように、「読む・考える・書く(ツイート)」を繰り返すことで、読書を長続きさせているのです。集中力ゼロでも続けられる読書術、というわけです。
みなさんがこれを応用されるなら、Twitterやその他のSNSでもいいですし、その代わりにスマホのメモに自分の考えを書き綴ってみる、ということでもいいかもしれません。ぜひ、読む・考える・アウトプットするの三角読みを試してみてください。