フィリッポ・リッピ《受胎告知(2人の寄進者)》部分。右下に描かれるのは注文主の姿
<<聖母マリアが身籠ったことを知らされる一瞬の出来事である《受胎告知》。この《受胎告知》を題材にした絵画作品が、山のようにあることを知る人は意外に少ない。長い歴史において大人気のテーマである。
ルネサンス期の著名画家をはじめ、驚くほど多くの画家が描いているうえ、同じ画家が似たような、しかしながらわずかに違う作品をいくつも描いたりなども。
キリスト教絵画なのに、そこにイエスは描かれていない。ほんの一瞬の出来事で、聖書の記述もわずか。それなのに、中世画家がこぞってマリアの《受胎告知》を描いたのはなぜだったのか。
本稿では、美術史家の高階秀爾氏が上梓した『《受胎告知》絵画でみるマリア信仰』内でその理由を語った一節を紹介する。>>
フィリッポ・リッピやアンジェリコも!? 《受胎告知》の制作受注はビジネスチャンスだった!?
古くから数多くの画家たちが《受胎告知》を手がけてきた。
だが、中世においてはいまと違って、画家みずからが絵の主題を選ぶということは稀だった。主に教会や王侯貴族らが注文主となり、白羽の矢を立てた画家に画題を指定して発注したものである。
《受胎告知》の制作を依頼されることは、画家たちにとっては大きな名誉だったに違いない。キリスト教を布教するための極めて重要なテーマであり、したがって教会の中でもとりわけ目を惹く場所に設置される。
その絵が評判を呼べば、いまでいう次のビジネスチャンスにもつながる。王侯貴族にとっても信仰は大切であり、《受胎告知》は特別なものだったから、画家にとっては他の絵を依頼されることとは重みが違うと言えるだろう。
また、《受胎告知》を繰り返し描いた画家も少なくない。たとえばルネサンス期にはフラ・フィリッポ・リッピやフラ・アンジェリコは数多くの《受胎告知》を制作した。
特に、リッピはいろいろとユニークな《受胎告知》を残してもいる。上の作品のように画面右下に注文主が登場する絵画もある。
つまり、マリアとガブリエルが出会う聖なる場面に、15世紀を生きた注
文主が立ち会っているという設定である。その他にもマニエリスム期には、エル・グレコ(1541−1614年)も次々と《受胎告知》を手がけ、その作品は世界各地でいまも大切にされている。