現代のファッション・ブランドと同じ"工房制度"が、作品の量産を可能にした
多作を可能にした理由のひとつとして、工房制度の果たした役割も大きい。中世の頃の画家は、芸術家というよりも職人といった側面が強かった。
そして工房を構え、たくさんのスタッフをしたがえて、分業制をとっていた。つまり絵画の制作は、個人の表現活動ではなく工房による集団作業であった。
すべての作業を一人で行なったわけではなく、作業工程に応じて、みなで分担していたのである。この工房制度は、その後もなお、長く続く。
リッピとボッティチェリに即していうと、二人は師弟関係にあるが、先生と生徒というよりも、親方と徒弟といったほうがニュアンスが近い。
いろいろと下働きをしながら修行を積み、しかるべきタイミングで独立して暖簾分けをしてもらうような感じと言えばいいだろうか。なお、こうした工房制はかねて日本の絵画や彫刻にも共通する制度である。
さらにいえば、現代においてもファッション・ブランドはよく似た体制をとっている。
クリスチャン・ディオールにせよプラダにせよ、一人のデザイナーがすべての作業を受け持つわけではない。メインのデザイナーが、それぞれのパートを受け持つスタッフたちに指示して服をつくる。
そして、ファッションの場合にも既製服の他にオートクチュールがあるように、《受胎告知》に限らず、キリスト教絵画では注文主の意向が大きく反映された。
《受胎告知》のどの場面をどう描くのか、威厳に満ちたマリアを描くのか、それとも親しみやすく見せるのか、いろいろと注文をつけていただろう。
もちろんケース・バイ・ケースで、ある程度は画家の意志に任されていた面もあったと思われるが、注文主の要望のほうがより重視されたと見ていい。