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TPPを奇貨にFTA交渉を加速化する

玄葉光一郎(国家戦略担当大臣)

2010年12月20日 公開 2022年12月21日 更新

"40億という人口を「内需」に

 先進国経済の先行きに不透明感が高まっているのとは対照的に、新興国経済は力強く成長している。ことに日本は世界経済の成長センターといわれる東アジアの東端に位置しているわけで、地政学的にきわめて恵まれた位置にあることを再認識すべきだ。

 すなわち、いまの日本には、アジア貿易圏約35億人、さらにアジア太平洋貿易圏約40億人という膨大な人口が生み出す需要を、いわば「内需」として取り込む戦略が求められている。菅総理が明治維新、終戦に次ぐ第三の「開国」が必要だと繰り返し述べておられるのも、そのためである。

 それにもかかわらず、EPA(経済連携協定)、あるいはFTA(自由貿易協定)に対するわが国の取り組みは、遅れているといわざるをえない。すでに世界のさまざまな国・地域のあいだで、200件のFTAが発効している。こうしたなか、日本は2002年にシンガポールとのあいだで初のFTAを結んで以来、ASEAN、チリなど、11の国・地域とFTAを締結してきたが、米国や豪州、EUといった国・地域とはいまだ締結できていない。

 一方、FTA網の構築を国家戦略に掲げる韓国は、着実にそれを広げている。EUや米国とはすでに署名済みで、インドとの交渉でも日本に先んじた。韓国とEUのFTAは2011年7月に発効する予定だが、韓国製の乗用車は段階的に関税が削減されて、5年以内にゼロになる。これに対し、EUに輸出する日本車には10%の関税が課されており、競争環境の劣位は否めない。

 FTAのカバー率(その国全体の貿易額のうち、FTA締結国の貿易額が占める割合)でみても、締結済みのものでいえば、韓国の36%に対し、日本はわずか16%にすぎない。交渉中のものを含めれば、韓国で約60%、日本は約30%と、その差はもっと開いてしまう。このまま「鎖国」を続ければ、日本企業は海外に生産拠点を移転していくしかなく、折からの円高も加わって、産業の空洞化はますます進む。日本企業の競争力、ひいては日本の経済力の回復のために、主要貿易国とのあいだで高い自由化レベルの経済連携を急ぐべきことは、言を俟たない。

“先送り”批判の誤解を解く

 そうした背景のもと、現在、産業界からTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を求める声が挙がっている。そもそも、TPPとは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ間で2006年に結ばれたFTAが発端になったものであり、ここにきて米国、豪州、ペルー、ベトナム、マレーシアなどが参加を表明、交渉が進められている。日本がこのTPPに参加すれば、これまでのFTA交渉の遅れを一気に挽回できるはず、というわけである。

 そこで国家戦略担当大臣である私が取りまとめ役となって、去る2010年11月9日、「包括的経済連携に関する基本方針」を閣議決定し、TPPについては、「その情報収集を進めながら対応していく必要があり、国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始する」との基本方針を定めた。この閣議決定は、TPP参加の意思をはっきり表明しなかったとされ、“先送り”ではないかとの批判を受けた。だが、ここでそうした誤解をはっきりと解いておきたい。

 そもそも、いますぐ日本がTPPに参加できるかといえば、難題が山積しているのが現実である。むしろ私は、このTPP参加をめぐる議論を奇貨として、まず、これまで滞りがちであった自由化レベルの高い二国間の経済連携を推し進めるべきだと考えている。

 なぜか。たとえていうなら、いま、日本が一般国道を走っているとするならば、自由化レベルの高い二国間経済連携は地域高規格道路だ。そしてTPPは、高速道路ということになる。TPPを指して高速道路というのは、関税の100%撤廃が原則だからだ。つまり、農産物であっても、原則として例外措置は認められないことになる。

 この原則がほんとうに適用されるかについては、各国との交渉いかんであり、検討の余地が残るものの、TPP参加によって、米国や豪州から安い農産物の輸入が拡大するのは必至といわれている。そのため、自由化に慣れていない日本がいきなりTPPに参加すれば、“事故”を起こす心配もある。

 日本が起こしかねない“事故”とは、国内における合意形成の失敗である。現在、TPP参加をめぐっては、国内の農業従事者から強い懸念の声が挙がっている。こうした問題を考えたとき、拙速にTPPへの参加を推し進めると、かえって国内の調整を難しくするだけでなく、その余波を受けて、二国間の経済連携すら、実行不可能となってしまう恐れがある。

 私は、それがわかっていたからこそ、いきなりハードルの高いTPPの参加をめざすのではなく、まず、各国との個別のEPA/FTA交渉を高いレベルで進めるべきことを、今後の日本の方針として定めたのだ。後者であれば、関税の例外品目を設置することも可能となり、国内の調整もしやすい。

 じつは、米韓FTAでも、コメは関税撤廃の例外品目となっている。また米豪というかなり自由化レベルの高い経済連携を推し進めてきた二国間でさえも、国内の事情によって例外品目は残されている。

 TPP参加後も、米豪の両国間のこうした取り決めはそのまま維持される可能性がある。このように、まず、主要国と経済連携を進めておけば、いざ日本がTPPに参加する場合でも、自由化の例外品目や段階的自由化といった措置の交渉がやりやすくなる。イメージでいえば、地域高規格道路で自由化に馴れたうえで、国際化の流れに乗ろうという戦略である。

 なお、農林水産省の試算(10年10月27日)によれば、コメや小麦、牛肉など主要農産品19品目について、すべての国との関税をただちに撤廃し、何らの対策も講じない場合、毎年4.1兆円の農産物生産額の減少に見舞われるとされる。そのうちコメが占める割合はほぼ5割、2兆円近くを占めている。仮にコメを例外品目にできれば、交渉を進める際の障害は、かなりの程度で緩和されるであろう。

 いまの日本の現状を踏まえれば、初めにTPP参加ありきではなく、まず二間国の経済連携を進めるという方針は、国益、または国民益からして、「ベストな結論」だと考えている。

「攻め」の農業政策を

 では、日本はどの国から経済連携交渉を開始すべきなのか。アジア太平洋地域においては、現在交渉中の豪州との早期妥結や、交渉が中断している韓国との取り組みをまず再開しなければならない。さらに、いまだ交渉に入っていない主要国・地域との取り組みを、国内の環境整備を図りながら、積極的に推進していく必要がある。

 ただし、どのような国と、どのような順序で交渉を進めるのかは、「戦略的機密」に属する事柄である。他国との経済連携交渉では、どの国を優先して行なっているのかによって、「足許をみられてはいけない」からだ。今後、センシティブ品目(その国にとって重要な品目で、かつ輸入の増加によって国内経済・社会に悪影響がある恐れがあるもの)について慎重に国内の合意形成を図りつつ、日本が国際的な競争関係で有利となるような経済連携を進めていきたい。

 まず、二国間で高いレベルの経済連携を進めることが「ベストな結論」だというのは、貿易自由化によりもっとも影響を受けやすい分野である農業にとっても、同じである。コメを自由化の例外品目にできたとしても、各国とのFTA網を広げていけば、国内の農産物が輸入品との競争にさらされることは避けられない。しかし、そうでなくても、農業従事者の高齢化や後継者難、低収益性などによって、すでに国内の農業分野は、将来の存続が危ぶまれる状況にある。今後も日本の農業が持続的な発展を遂げるためには、むしろ自由貿易の進展をチャンスと考えて、需要を海外に求めていくような農業政策が必要だ。

 すでに、果樹や野菜については、ほとんどの品目について、わずかな関税率しか設定されておらず、十分な国際競争力をつけている。問題は、コメ、畜産、乳製品、小麦、でんぷん、サトウキビといった土地利用型の産業であるが、仮に各国とFTAを締結していっても、関税は10年から15年かけて徐々に廃止されることになるため、価格がただちに急落するようなことはない。過度な不安はもたなくてよいのだ。そのうえで、今後の日本の農業に求められるのは、農業の成長産業化を図るような「攻め」の政策である。

 現在、日本の農業生産高の合計は8兆円程度で、そのうち約4,500億円が輸出されている。これをもっと伸ばすために、たとえばアジアの富裕層向けに日本の農産物を輸出していくような方策も考えられよう。

 私は、日本の農業従事者のレベルは世界一高いと思っている。これだけ安心で、かつおいしい農産物をつくれるのは、世界を広く見渡しても日本だけだからだ。つまり、日本の農産物はわが国の経常収支を押し上げていくうえで、重要な武器になりうるのだ。

 さらにいえば、農産物を国内で加工して「食材」として世界に輸出していく手もある。すなわち、農業従事者が生産(第一次産業)だけでなく、加工(第二次産業)、さらに販売・流通(第三次産業)を行ない、六次産業化(1×2×3=6)していく枠組みづくりだ。農業が六次産業化すれば、地域の雇用も、若い人の就業意欲も高まるかもしれない。

 いずれにせよ、平均年齢は65.8歳、農業収入もピーク時の半分という日本の農業の将来は、このままでは暗い。いまの260万人の農業人口も、今後10年間で100万人減少するともいわれている。そこで菅総理を議長に、国家戦略担当大臣と農林水産大臣を副議長とする「食と農林漁業の再生推進本部」を設置し、2011年6月をメドに、「守り」から「攻め」への農業改革の基本方針を定める予定である。

 もしこのまま「開国」を進めなければ、「日本のふるさとからは工場も、農業も、両方なくなってしまう」という恐れすらある。いまこそ、日本の農家が「世界に打って出られる」ような支援策が必要なのだ。

日中のFTA締結もありうる

 今後、日本が「開国」を進めていくうえで乗り越えるべき問題は、国内の農業をどうするかだけでない。尖閣諸島沖での漁船衝突事件以降、中国では日本製品の排斥運動が吹き荒れ、また労働者の労賃が上がっていることもあって、以前よりも日本企業が中国に進出することで得られる経済利益は少なくなっているという声が、与野党を問わず挙がっている。中国との関係悪化は、いうまでもなくわが国最大の対外的なリスクの一つである。

 こうした点を鑑みながら、今後日本はどのような外交戦略を採っていくべきなのか。それは、「日米基軸」「日中協商」である。もちろん、自分の国は自分で守るという覚悟が第一だが、今後の日本の外交戦略において、日米同盟が外交戦略の基軸となることはいうまでもない。

 この「日米基軸」を前提に、「日中協商」、つまり中国と協力し、商売を行なっていかなければならない。たしかに、中国はかつてと比べ、「自己主張の強い国」になっている。日本とのあいだには、海洋権益をめぐる対立もあり、そういったリスク要因に対する対応をつねに準備しておくことは必要であろう。とはいえ一方で、日本経済の発展には中国の「内需」を取り込むことが不可欠なのも事実だ。現に、いまや中国は日本の貿易総額のおよそ2割を占める最大の輸出入相手国である。

 たとえば、日本の優れた「食材」を輸出するにしても、食糧輸出国から輸入国に転じた中国は、やはり主要な輸出先となるはずだ。菅総理の言葉を借りれば、中国との戦略的互恵関係の構築なしに、日本の経済発展を望むことは難しい。

 そのためにも、アジア太平洋の海のなかで、日本がどう振る舞うのかを考える際、二国間の経済連携交渉を進める相手として、中国さえも挙げることができる。すなわち、日中のFTA締結も、今後採るべき戦略の範疇にあるということだ。

 最後に、外交問題を考えるとき、私がいつも思い出すのは、「外交では、その国がもつ国力以上のことはできない」という、中曽根康弘元首相の言葉である。まさに至言であろう。では、日本の場合、国力とは何を指すのか。自衛力、文化力など、さまざまな要素が考えられるが、なんといっても経済力こそが、国力の主要な部分を占めるものといって間違いない。

 ところが、IMD(国際経営開発研究所)の国際競争力調査でかつて1位であった日本が、いまや27位まで落ちている。同様に、一人当たりのGDPで2位だった日本が、いまは19位。世界のなかで、わが国の経済的な地位が趨勢的に低下していくことへの危機感は、国民のあいだにも広く共有されている。

 昨今の中露両国との領土問題の背景の一つにも、この日本の経済力低下があるのではないか。たとえば、かつて日本が北方領土交渉を行なっていた際、ロシアの経済はかなり疲弊しており、そのことが日本の交渉力を高めていたわけである。しかし、現在のロシアは資源国として国際的なプレゼンスを高め、日本の経済力なしでも持続的な成長が可能となっている。一方、ロシアとは対照的に日本の経済力は低下し、世界における存在感が薄まってきている。日中間の尖閣諸島をめぐる問題でも、同じようなことがいえるだろう。

 もう一度、日本の国力=外交力を立て直すためにも、菅総理のいう「強い経済」の復活は不可欠だ。二国間の経済連携交渉の強化こそが、その号令となるだろう。

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