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馬場・猪木とプロレスを盛り上げた“元力士社長”が「相撲を捨てた背景」

谷口公逸(大相撲史研究者:たにぐち・こういつ)

2019年11月06日 公開 2022年04月01日 更新

 

力道山の死後、馬場・猪木を擁し日本プロレス社長としてマット界を盛り上げた

敗戦から8年を経て実現したテレビ放送開始と栃若時代の狭間の時期に、力士が怪我や出世の見込みに見切りをつけ、新興プロレス界に走った頃であった。

ちなみに平幕出身力士の名前を上げれば清美川(前頭筆頭)、駿河海(同十四枚目)、藤田山(同十二枚目)や兵隊帰りの元小結九州山もレフェリーで再就職を図っているほどであった。

芳ノ里と同じ9月場所を最後に角界から去り、プロレスに転向していった力士に、元横綱で前代未聞、物議をかもした東富士がいる。

そして幕内在位三場所(=21勝19敗5休)の前頭十五枚目の最高位を最後に去った薪割りで鍛えた怪力豊登もプロレスに走った。東富士は所詮見世物に終わったが、豊登は力道山の副将として最後まで付き添ってプロレスの黄金時代を気付いたことはご承知の通りである。

晩年は日本プロレス興業社長として馬場・猪木を擁し、力道山亡き後の第二期黄金時代を築いた。

平成9年(1997)3月11日に脳梗塞で倒れ、翌年1月19日、午前8時過ぎ、多臓器不全により横浜市内の病院にて70歳で死去した。

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