はっきりと否定されている「共食い説」
まず共食い説。「犬同士で共食いしたのではないか」という説は、当時かなり話題になった。タロ、ジロが、つながれたまま死んだ仲間を食べたというわけだ。一次越冬隊員の中にも共食い説を採る人物もいた。
動物学では1500種を超える動物の共食いが確認されている。決して異常な行動ではない。それでも、多くの国民は、そんなことは信じたくはなかった。
幸い、第三次越冬隊に参加した北村隊員が発見したゴロたち七頭の遺体は、いずれもきれいなままだった。共食い説はあっさり排除された。
しかし、タロ、ジロが共食いしていなかったという情報は、当時大きく報道されたわけではなかった。愛犬家など一部の国民は胸をなでおろしたが、一般には知られることがほとんどなかった。
このため、共食い説は完全に否定されたのに、面白おかしく語られ、現在でもそう思い込んでいる人が意外にいる。猟奇的な話を信じたがる人は、いつの時代にもいるのだ。そのことが北村氏は残念でならない。
「共食いはなかった。このことを、あの時しっかり伝えなかった私たち元隊員にも責任がある。再検証を進めるにあたって、この共食い説はあらためて強く否定しておきたい」
北村氏が、すでに否定されている説でも確認は必要だと言った背景には、この思いがあったのだろう。
ペンギンを襲うことを覚えていたが…
今の感覚からすれば、珍説も百出した。例えば、クラックで魚をすくい獲ったという説。猫が金魚鉢の金魚を狙うイメージなのだろうが、そんなことをしたら転落死してしまう。
南極に棲息するオオトウゾクカモメの卵を狙ったという説や、このカモメが落とした獲物を横取りしたなど珍説も飛び出したが、これらはさすがに、すぐに消えた。
動物学の専門家らが主張した説の中で、当時「有力ではないか」とされたのがペンギン捕獲説と、アザラシの糞を食べたという説だった。
「実はペンギン捕獲説に関しては、第一次越冬隊員の多くが違和感を持っていました。犬たちはペンギンを襲うことはあったが、食べたことはまずなかったからです。しかし当時の日本には、犬を置き去りにしてきた一次越冬隊に反論を許すような空気は全くなかった」
北村氏は、第一次越冬時の犬がペンギンにどう接していたかを説明し始めた。
「風連のクマや比布のクマのような攻撃的な犬たちは、南極に着いた直後からペンギンを襲いました。一度か二度、風連のクマらがペンギンを食べた。でも、すぐに吐き出した。以後、食べることはなかった」
第三次越冬隊が基地に入った1959年に、北村氏は昭和基地近くで数羽のペンギンの死体を発見した。第一次越冬隊が撤収する前、そんなところにペンギンの死体はなかった。
タロ、ジロか、逃げ出した他の犬が殺したのだろう。ただし食べられた形跡はなかった。
また北村氏は、三次越冬中にタロ、ジロがペンギンを襲うシーンを目撃した。一次越冬では2頭がペンギンを襲ったことはなかったので驚いた。しかし、やはり食べはしなかった。
その事をもって、置き去りにされていた間、タロ、ジロが絶対にペンギンは食べなかったという証明にはならない。雪の下には、タロ、ジロが食べたペンギンの死体が埋まっているかもしれない。しかし一次越冬時のカラフト犬たちは、ペンギンは殺すだけで食べなかった。
一方、犬用食料は奪い合うようにしながら喜んで食べた。基地内には大量の犬用食料が、すぐ食べられるようにして残置されていた。
この状況からいえば、犬たちは腹が減ったら、まず目の前にある犬用食料を食べるはずだ。犬用食料に一切手をつけず、ペンギンをわざわざ襲って食べると考えるのは、無理がありすぎる。
第三次越冬隊が基地に犬用食料が完全に残っていることを確認した時点で、ペンギン捕獲説は事実上消えた。