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試合前に野村監督と落合監督が…伝説の打者たちの密やかな「打撃談義」

野村克也(野球評論家)

2020年03月13日 公開

 

山内一弘氏のフォームの真似から入った

野球の「打撃フォーム」には「軸回転打法」と「体重移動打法」の2通りある。

一つは、重心を「後ろ側」の足にかけて「軸回転」させて打つ一般的な打ち方(山本浩二=広島、落合博満=ロッテほか、松井秀喜=巨人ほか、山川穂高=西武)。

もう一つは、「テニス打ち」。テニスのスマッシュをイメージするとわかりやすい。重心を「後ろ側の足」から「前側の足」に「体重移動」させて打つ(若松勉=ヤクルト、原辰徳=巨人、古田敦也=ヤクルト、イチロー=オリックスほか)。

私は捕手だから幸いにして打席の間近で感覚がつかめる。だからプロ入り当初、形態模写をやってみた。

まず私より2歳上、「怪童」の異名を取った中西太(西鉄)さんの「体重移動打法」。しかし、どうもしっくりこない。

次は3歳上、「シュート打ちの名人」と呼ばれた山内一弘(毎日ほか)さんの「軸回転打法」。バットを持つ両手グリップをグルグル回転させるなどして、上体はリラックス。重心を置いた「後ろ側の足」を軸としてクルリと体を回転させる。

「よし、オレは山内流だ」

私はプロ4年目の57年、オールスター初出場。別チームの選手と気軽に話せる絶好の機会だ。先輩お二人はのちの監督業を退いたあとも打撃コーチにいそしんだほどの「教え魔」だ。

山内さんなど、「教え出すとやめられない、止まらない、かっぱえびせん」と呼ばれていたし、雑誌のプロ野球選手名鑑には「趣味/コーチ」と載っていたほど。

「カーブって、どういうふうにして打てばいいんですか」

中西さんいわく「だんだん打てるようになるものだ」。
山内さんいわく「まあ経験だな」。

 

技術を習得するには、形態模写と自分流、そして執念

さて、パ・リーグ本塁打王は、中西さんが53年から56年まで4年連続のタイトルに輝いていた。

57年に私が初の本塁打王。58年中西さん、59年・60年は山内さん、61年から私が8年連続。パ・リーグの優勝チームも、本塁打王のタイトルに連動するかのように58年西鉄、59年南海、60年大毎、61年南海と移る。

私が引退後、神宮の室内練習場で山内さんに遭遇した。やはり誰か選手をコーチしていた。

「山内さん、今さらですが、あのときはものすごく、つれなかったですね」
「プロ野球は競争社会。ライバルに教えるわけないだろ。今なら教えてやるよ(笑)」

かくいう私も、選手に打撃の考え方は教えるが、打撃フォームなどの打撃技術の指導は施さない。人間打てないと「監督の教えられた通りにやったのに打てなかった」と、逃げ場を求めるからだ。とくに打撃技術は自分で悩み考え、苦労して会得しないと身につかない。

私はライバル稲尾和久(西鉄)を打つために、当時珍しい16ミリフィルムで稲尾を撮影してもらった。球種のクセを見つけるまで苦労した。コツなんぞない。

フィルムが擦り切れるほど、目を皿のようにして見た。「絶対見破って打ってやる」という執念だった。

技術を習得させるには、真似や形態模写から入らせ、プラス自分流を組み合わせるのがよい。そこに「執念」があるかないか。それが大事。一流へ脱皮できるか否かの境目である。

リーダーは、自らの技術を確立しようとしている者を、粘り強く応援してほしい。少なくとも、リーダーのほうから先に諦めてはいけない。

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