日本酒のカリスマは、いかにしてニューヨーカーに「SAKE」を広めたのか
2020年04月18日 公開 2022年07月11日 更新
蔵元や杜氏の酒に込めた思いもそのままに
また、イーストビレッジにある日本酒の酒場「でしべる」もいろいろなエピソードを生んでいます。店名は音の強さを表す単位のdBで、ここは音楽をウリにしているため、営業中には「on air」の赤いネオンが点ります。
日本を代表する酒蔵のひとつ、岩手県の「南部美人」では、現在50カ国近くに日本酒を輸出していますが、その第一番目の取引先はこのNYの「でしべる」でした。
蔵元の久慈浩介氏は当時を振り返って語ります。
「ビルの地階にあるカオスのような世界を目にして、驚きを隠せなかった。白人も黒人もアジア人も一緒に顔を寄せ合い、日本酒を囲んで酒談義に花を咲かせている。流行の最先端NYでのその熱狂ぶりを見て、日本酒は世界に受け入れられると直感した」と。
人種のモザイクNYは世界の縮図。「でしべる」での飲酒シーンは、日本から訪れた若い蔵元の日本酒愛を、挑発するに足るものだったのでしょう。
また、日本で酒ジャーナリストとして活躍するジョン・ゴントナー氏はNYに来るとよく顔を見せ、NYで「ブルックリン蔵」を立ち上げたアメリカ人のブライアン・ポーレンとブランドン・ドーンも、「でしべる」の常連でした。二人はここで冷やした日本酒を飲んで、日本酒の魅力を知ったと語っています。
その頃のNYでは日本酒と言えば熱燗で出されるのが当たり前。日本食レストランや寿司バーには「ホットサケ」しかなく、アルコール臭が鼻にツンとくるスピリッツのような飲料というのが日本酒の一般的な認識でした。一升瓶で常温管理され、日光にも晒された日本酒は品質が維持されず、冷酒ではとても飲める代物ではなかったのです。
私は日本から出荷される日本酒のクオリティを変えることなく、できれば蔵元や杜氏が酒に込めた思いもそのまま、お客様に提供したいと考えて、冷蔵コンテナでの輸送リクエストはもちろん、入荷後の冷蔵管理に気を配りました。店舗内にセラー室を設けて専用冷蔵庫に保管し、その日に提供する商品はカウンター背後に独自設計した冷蔵ケースに準備しています。ボトルには入荷日と開封日を記入し、封を切ったら3日以内に売り切ることを目指しました。
サーブするスタッフの教育にも手を抜かず、お客様の口に入る瞬間までを日本酒を提供する者の責任と考えて目配りしています。それがお客様にとって、かつて、私の味わった「一生忘れられない酒」との出合いに通じると信じているからです。
「でしべる」は地下へ降りる階段に席待ちのお客様が行列する小さな店です。しかしメニューにはびっしりと多彩な日本酒が並んでいます。純米酒を主体に本醸造から吟醸、大吟醸、にごり酒、そして花酵母の酒から梅酒、ゆず酒、古酒などのユニークな酒までそろい、どのようなオーダーにも応えられるのが自慢です。それだけにスタッフは商品名とその特徴、お薦めポイントを憶えるのに苦労します。新人教育にはマネージャーが当たり、メニューの酒の試飲トレーニングを重ねています。さらに「爽酒」「薫酒」「醇酒」「熟酒」の4タイプ分類を理解させ、合わせる料理をお薦めする一助となるように訓練しています。
料理は基本バーなので手の込んだものはありません。そばサラダ、たこわさ、豆腐サラダなどのアペタイザー、サーモンやマグロなどの刺身、海老シュウマイ、チャーシュー、蒸しウナギ、唐揚げなどのスモールディッシュ、お好み焼きや牛丼、鮭茶漬けなどの軽食と30種余り。しかし、お客様が選んだお酒に合わせて、ベストマッチのつまみをお薦めするのがスタッフの腕の見せ所となります。そのために4タイプ分類の教育には力を入れています。
今では「でしべる」は 100種類以上、「酒蔵」は 250種類以上の日本酒をそろえ、スタッフは日本酒本来の魅力をお客様に伝えることを使命にしています。その結果、日本の蔵元からは、レストランバー「酒蔵」はNYにおける日本酒の登竜門と言われるようになり、またNYで日本酒を広めたことに関しては、SSIから「名誉唎酒師」の称号をいただくことができました。
名誉唎酒師についてはSSIおよびFBOによって、次のように規定されているので紹介します。
「消費者への普及、啓発活動、調査・研究活動、実業を通じた普及、啓発活動など、日本酒及び日本文化の普及・発展に資する活動、行動をおこないその成果が顕著に認められた唎酒師、焼酎酒唎師に対し、功績を称えるとともに後世への「橋渡し役」としてさらなる活躍を期待し任命憲章する」
私は2009年、農学博士小泉武夫氏らと一緒にこの名誉に浴しました。後世への「橋渡し役」としてさらなる活躍を期待するとの一文に応えるべく、もっと精進しなければと自分を戒めています。