自国民までも攻撃対象としてしまった"鉄道"という装置
列車の車掌や機関士はライヒスバーンの鉄道員だった。彼らは業務に専念し、「乗客」たるユダヤ人の味わっている悲惨とその果ての運命に対しては傍観をつらぬいた。
もしも東部鉄道の従業員であれば、総督府内の駅員や駅労務者の多数はポーランド人である。彼らはもちろん、ドイツ人のライヒスバーン鉄道員も、デポルタツィオーンの任務中は自分たちもSSの監視対象であることを意識していた。
へたに移送ユダヤ人に同情をかけて水でもやろうとすれば途端にSSに銃を向けられたのだ、と戦後証言した者もいる。
東方での移送や虐殺に関与した経験を重い心の傷にしていた機関士に戦時中に会った、というユダヤ人の素性を隠して潜伏していた演出家の小説的な回想録の記述もある。また、ナチス・ドイツに公然非公然に抵抗した鉄道人たちもいたことは記録されている。
しかし、総じてライヒスバーンがユダヤ人になんら救済の手を差し伸べず、やはりまずは、その迫害と虐殺に必要不可欠の要素として機能したのは、誰にも否定できないことであろう。
戦争のなかでドイツ国鉄は、近隣諸国住民を攻撃する兵器となるとともに、多数の自国民を殺害する機構の一装置とも化したのであった。