「なぜか恋愛が長続きしない」「恋人を短期間に何人も取り換えている」「いつもダメな人に引っかかってしまう」――恋愛が上手くいかないと悩む方は一度過去を振り返ったほうが良いかもしれない。
加藤諦三著『自立と依存の心理』(PHP文庫)では、どこか不安で自分に自信を持てないのは「心の自立」ができていないからと加藤諦三氏は語る。過去を振り返ることで自身を見つめ、本当の心の自立をすることで逆境に折れない生き方ができるようになる。
本稿では恋愛が上手くいかないと悩む人間の背景や超克についての一説を紹介する。
※本稿は加藤諦三著『自立と依存の心理』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。
「愛されたことがない子供」が抱える問題
うつ病者を生み出す家庭の特徴について、うつ病になる子どもは家族の威信獲得の主要な担い手として選ばれ「君は誰か」ではなく、「君は何をするか」で両親の承認を得られるという。
つまり「私は○○家の次男です」というのではその家に受け入れられないし、親の承認を得られない。あくまでも学校でいい成績を上げ、地域社会や親戚でお行儀のよい感心な子として親の自慢の種にならなければならない。
となればこの子は安心して何かに保護されて成長するというわけにはいかない。何か大きな母なるものに包まれて成長するという感覚はない。彼は小さい頃から企業戦士のように厳しい競争の社会にいる。
家族の評判を高めるための手段として扱われる子どもが「愛されたい」という欲求を満たされているわけがない。うつ病になるような人は小さい頃「家族の威信を高めるために奉仕を要求されている」と言われる。子供はやがてその重責に耐えられず、人生半ばにおいて挫折する。
かくて大人になって確実性を求めながら日々辛い毎日を送り続けることになる。彼は心の支えを求め続ける。しかし彼の行く道には心の支えはない。そして最後には無気力に苦しむことになる。だからこそ戦う前から「もうだめだ」と戦う気力を失ってしまうのである。
それがうつ病者の考え方の特徴である「ゲームイズオーバー」である。戦うためには、確実なものにしがみついていなければならない。うつ病者にはそれがないのである。
「親からの愛」を恋人に求める悲劇
例えば男性は、まず「母親からの愛」を求めるから、まずそれを満たそうとする。そこでそれが満たされていない人は恋愛をすれば、その恋人に母なるものを求める。その役割を恋人に求めるからいちいち恋人の言動に不満になる。いつまでも母親に固着している。
それはもちろん極めて不当な不満であるが、不当であっても彼は不満になる。それがどんなに不当なものであると頭で理解できたとしても彼の感情は不満である。
通常、誠実な女性はなかなか母親固着の強い男性と長くは付き合えない。それは誠実な女性は相手の男性のことを考えるからである。相手の男性を大切にするからである。そうなるとどうしても励ましたり「こうした方がよいのではないか」という提案をしたりすることになる。
しかし母親固着の強い男性が求めているのはフロムが言うように「かしずく女性」である。彼が求めているのは「あなたは凄いわねー」以外のことは何も言わない女性である。
励まされたり何かを提案されたりすれば彼は頭にくる。彼の求めている励ましは「あの人はダメねー、それに比べてあなたは何て凄いんでしょう」という言葉である。
誠実な女性は恋人が何か愚かなことをしようとするときには止める。それが彼には頭にくる。とにかく彼はすぐに頭にくる。その発作的な怒りやイライラは彼に心の支えがないことを表している。
逆にかしずく女性がいれば途端に熱を上げる。一瞬にして恋の情熱の虜になる。熱しやすくて冷めやすいのは心の支えがないからである。かしずかれて一気に熱を上げるが、その人から何かの要求があれば途端に冷めてしまう。冷めるだけならよいが時には憎しみになる。
彼らは無制限に自分のことを賞賛する女を求める。そこでどんどん変な女に引っかかっていく。何度痛い目に遭ってもまた同じタイプの女性に引っかかる。母親固着でナルシシストという本人の心が治らない限り同じタイプの女性に引っかかる。
その男性が社会的に何の価値もなく、誰にとっても利用価値がなくなるまで同じタイプの女性に引っかかる。逆に母なるものを持った男性の恋愛は落ち着いている。本来「母からの愛」は決して脅かされることはなく、決して見捨てられるということがないからである。