他人を束縛すること=自分を束縛すること
人間関係において、相手を所有しようとすることによって、相手との関係はこわれる。つかもうとすれば逃げていくのは、手のひらの上の鳥だけではない。
人間も同じであろう。自分を束縛することなしに、他人を束縛することはできない。他人を束縛することで、自分もつまらない人間になっていく。このことは、いろいろのことについていえる。
自分を大切にしない人は、相手も大切にできない。自分を尊敬できない人は、相手も尊敬できない。
ライヒマンは、次のようにいっている。精神医の自己尊敬は患者を治療していく上で大切なことだ、と。なぜなら、自分を尊敬できる精神医だけが、患者を尊敬できるからである。
このような人だけが、お互いに平等な人間という基礎に立てるからである。心理的に安定していない精神医は、患者に対して、威信をつくりたいと思いがちであるらしい。
このことは精神医と患者の間だけでなくて、同僚、親子、友人、恋人などすべての人間関係にあてはまるのではなかろうか。心理的に不安定な人は、相手によい印象を与えようと努力して、相手の心の問題に耳をかたむけることはできない。
会社でも同じであろう。上司は部下に対して、もったいぶった態度をとる。そのことで部下は余計不安になる。自分を自由にしたければ、他人も自由にしてあげることである。そして、人間の自然の成長を受け入れることである。
素直な人は、社会的に活躍している人と会うと、刺激になっていいと喜ぶ。しかし自尊心が傷つくことを怖れている人は、社会的に活躍することの無意味さを強調する。
このように自我防衛の強い人は、自分自らよい刺激からよい影響を受けないように頑張ってしまう。刺激がそこにあるのに、その刺激を受けないようにエネルギーをつかってしまうのである。
劣等感があって、相手から何とか高い評価を得ようとするから、ストレスを感じて疲れるのである。相手への愛情から相手に気をつかっても、ストレスで疲れることはない。しかし、相手から高い評価を得ようとして気をつかうと、ストレスで疲れる。
相手と会うと、何か圧倒されるような緊張を感じるのは、何か生き方にごまかしがあるか、相手に対する気持ちにごまかしがあるからではないだろうか。そのごまかしを隠すのに、不安な緊張を感じるということではないだろうか。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。