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「他人の生き方を“否定せずにはいられない”人」は、なぜ他人をスルーできないのか?

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2020年06月11日 公開 2024年12月16日 更新

他人の生き方に違和感を感じるが、かと言って自分の人生に自信を持てない。熱く夢を語り、自分の人生が正しいと思いつつも、依然として隣の芝が青いのは親離れに失敗したからだと、加藤諦三氏は語る。

加藤諦三著『親離れできれば生きることは楽になる』では、他人の目を退け、自分の人生を取り戻すためには親からの心理的離乳が必要だと説いている。他人への強い対抗意識を抱いたままの人の心理について触れた一説を紹介する。

※本稿は加藤諦三著『親離れできれば生きることは楽になる』より一部抜粋・編集したものです。

 

なぜ他人の生き方が気になるのか

傷ついた自尊の感情を守るために、心の底では信じていない価値を最高の価値と主張する人がいる。心の底ではほしいと思っていないのに、自分を守るためにほしいような顔をする。

そんな防衛的価値で自尊の感情を守ろうとしている人は、絶えずこれでいいのだ、これでいいのだ、と自分に言いきかせているところがある。実際には、家庭の愛情が人生のすべて、と感じているわけではない。

男として権力もほしい、しかし自分には権力がない。そこで自分の自尊の感情をたかめようとして、心の底で信じてはいない家庭の愛が人生のすべて、と主張する。それが防衛的価値である。

別の言い方をすると対抗意識があるということである。従って、彼らは彼らの生き方が適している、彼らは彼らでいい。そして自分には自分の生き方が適している、自分は自分でいい、という感じ方ができない。

彼らの生き方より、自分の生き方のほうがよい、と思わないと自尊の感情が保てない。人間として本当の生き方は、自分のほうだというように思わないと落ち着かない。ということは、どうしても他人の生き方に干渉していかざるを得なくなる。

あの男はけしからん、とか、可哀そうな人だ、とか、何とかかんとか言って他人の生き方に心理的にかかわっていってしまう。他人の生き方を素直に認めて無視することができない。

他人をあるがままにしておくことができない。他人が自分の生き方を素晴らしいと認めないと不満になる。情緒が成熟してくれば、他人をあるがままにしておけるようになる。

他人の生き方は他人の生き方であり、自分の生き方よりくだらないわけでもなければ、立派なわけでもないと認めて、他人の生き方を放っておける。そして他人が自分の生き方を価値あると認めてくれるように求めることもない。

他人が自分の生き方をどう評価するか、ということは、自分の問題ではなく他人の問題だと割り切っていられる。ところが、防衛的価値で自尊の感情を守ろうとしている人は、こうはいかない。

自分がマイホームの生き方をしていると、会社、会社と騒いで休日出勤をしている人を見ると、どうしても下らないと否定せざるを得ない。それは自分が心の底の底で信じている価値が、今の自分の生き方に適っていないからである。

従って、他人の生き方が自分の心の底にある無価値感、劣等感を刺激する。そこで下らないと否定してみたり、自分のほうがいいのだと思い込もうとしたりすることになる。

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「自分だけが実現できる、自分は特別」

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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