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織田信長と武田信玄、本当は仲が良かった?…大河『麒麟がくる』が描く“信長包囲網”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年12月05日 公開 2022年08月08日 更新

 

武田信玄と織田信長の深い関係

焼討ちから逃れた覚恕が向かったのは、甲斐国の大名武田信玄のもとであった。

先ず、申すが此度の武田信玄、肖像画に激似である! 武田信玄の肖像画で一番認知のある画に合わせてきた。前回の筒井順慶も然りであるが、この辺り『麒麟がくる』は誠に天晴である!

武田信玄は「信長を討ってご覧に見せましょう」と申しておったが、実際には武田信玄と織田信長は良好な関係であったんじゃ。言うてしまえば両家は身内である。信長の養女を武田に嫁がせておるし、嫡男信忠の正室は信玄の娘。政略結婚ではあるものの、外交自体は永禄の時代から始まっていて、上洛前から繋がりがある。

将軍義昭からの要請を始まりとし、信玄は信長の同盟相手である徳川家康の領土に侵攻、3ヶ月で多くの城を落城させる化け物じみた強さを世に見せる。そして、延暦寺焼討ちが起きて信長との関係が悪くなり始める。

しかしながら、武田信玄は病で1573年に世を去ってしまう。武田信玄と申せば、戦国界最強とも言われ、あらゆる分野で才覚を発揮して武将としての器の大きさから現世においても、リーダーのお手本として多くの本が出版される程。

尾張国においても、武田と上杉の軍に関しては天下一の強さを誇ると評している。長篠の戦で勝利しているが、武田の強さを知っているために抜かりの無い備えをして迎え撃った。

後に徳川家康も、武田家臣は自らの軍門に吸収して軍事拡大を図った。

 

坂本城の築城がついに始まる?

さぁ、此度の解説は如何であったか? 光秀が松永久秀に志賀を譲ろうとしておったが、主君から拝領したものを他人に譲るというのはドラマならではの表現。

今井宗久の此度の衣装は水玉を入れた洒落乙なものであった。後に伊達者と言われる伊達政宗愛用の柄である。松永久秀の前で筒井順慶は、太刀を己が左に置く。いつでも抜刀できる、戦意むき出しを演出した。

次回は遂に期待していた坂本城築城開始? 摂津春門が政所から追放される回となろう!

幕府の再興、将軍が武家の棟梁として世を平らかにする事を願う光秀と帝にべったりの信長、どのように運命の糸が解けるのであろうか。

それでは次回、「35回 義昭、まよいの中で」も楽しんで参ろうぞ。

【参考文献】
・『大河ドラマガイド 麒麟がくる完結編』(NHK大河ドラマ・ガイド)
・『信長公記』
・『完訳フロイス日本史』(中公文庫)
・「武将メシ」 永山久夫著 (宝島社)
・NHK 大河ドラマ『麒麟がくる』公式サイト

 

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