独立するも億単位の借金…ピンク・レディー解散後に「それでも追いかけた夢」
2021年06月10日 公開 2023年09月15日 更新
仕事に勉強に奔走した綱渡りの毎日
再出発直後は、目も当てられない状態でした。私は、経営どころか、社会人としても素人同然でした。移動は運転手さん任せだったため、タクシーに乗っても行先の伝え方がわからず口ごもってばかり。電車にいたっては、切符さえ買えないありさまでした。
マネージャーは私が出かけるたびに道順を詳しく書き、「帰り道で迷ったら、この住所をタクシーの運転手さんに見せて」と、「迷子札」まで作ってくれました。そんな無力な私に唯一あるのは、「会社を潰すわけにはいかない」という必死の思いでした。
朝は社員が来る2時間前に出社し、その日に支払うお金をどう工面するか、払えないものは何と言って待ってもらうか、知恵を絞りました。まさに、毎日が綱渡りです。
昼間はやりたい仕事と稼ぐための仕事を両方こなし、その合間に勉強も。セミナーを受講したり、経営者の方々から教えを受けたりして、足りないスキルの強化に努めました。
とりわけ力を入れたのは「話し方」です。もともと私は話すのが大の苦手。自分の言葉で話す必要がないから歌手になったくらいです。けれど、もうそんなことは言っていられませんでした。
話すスキルを学びながら、同時並行で様々な交渉事をしました。銀行で融資を取りつけるために説得を重ねたり、飛び込み営業で企画を持ち込んだり。「私、こんな人だったの!?」と、自分でも驚きでした。
逆境にいるはずなのに「毎日が冒険」
あの時期を振り返ると、意外に自分が楽しんでいたことに気づかされます。逆境にいるはずなのに、悲壮感はありませんでした。
睡眠時間は毎日1~2時間でしたが、それはピンク・レディー時代に経験済み。だから今回もきっと乗り切れると思っていましたし、乗り越えた自分を見てみたいという冒険心もありました。
冒険と言えば、当時は街を歩くことも一つの冒険でした。慣れない電車に乗っていると、眠っている方々がいる。夜の改札口には別れを惜しむカップルがいる。様々な人の姿に共感したり、発見を得たり。日常風景の一つひとつに心躍らせていました。
そうして3年経った頃、ようやく借金返済の目途がつきました。そのとき思ったのは「やっと普通の人の仲間入りができた」ということです。36年間生きた中で、最大の成果でした。
ピンク・レディーが成功したときでさえ、それほどの喜びはありませんでした。それはプロジェクトの成功であって、私自身の力ではなかったと思っていたからです。
あの頃は熱狂も苦労も、すべて薄いベール越しに体験している感覚でした。そして「生きることって、もっと生々しい気持ちを噛み締めることじゃないの?」と思っていたものです。
それから何年も経って、私は自分の足で立ち、生身の人生を送れるようになりました。あの危機は、私にとって必要なことだったのでしょう。何もできない子供だった私を変えてくれた経験に、感謝せずにはいられません。