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生き方

「几帳面ないい人」が腹の底で抱える相手への敵意

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年02月01日 公開 2024年12月16日 更新

世俗の世の中に生きている以上、私たちは人と接することを避けられない。よいコミュニケーションは、よい人生につながるだろう。しかし、どうしても人と打ち解けられない人も存在する。

加藤諦三氏は几帳面な"執着性格"の人ほどコミュニケーションが苦手な傾向にあると語る。一方、彼らは他人から「いい人」と思われなければ生きていけないという。その矛盾した理由とは。

※本稿は、加藤諦三著『だれとも打ち解けられない人』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

「自分がない人」の3つの特徴

大切な点は、自分を守る執着性格の人には「自分がない」ということである。言葉としては矛盾しているが「自分を守る人には自分がない」のである。自分がないから、いつもきちんとしていなければ気がすまない。

彼らはきちんとしていることで、自分の存在証明を得ているのである。執着性格の人は、きちんとすることで初めて自分を感じることができる。きちんとしているという「かたち」がほしい。きちんとしなくなると、自分がどこかへ行ってしまう。それが怖い。だからいつもきちんとしているのである。

「自分がある」ということは、自立しているということでもある。自己不在とは自立していないということである。自立しているか、自立していないかは、いくつかのことで見分けられる。

一つは、自立していない人は人と対立したときに解決するための道具がない。対処の方法がわからない。だから状況に流されてしまう。流されるだけで自ら動かない。「流される」と「動く」とは心理が違う。流されている人は、自分が今どこへ流されているかを知らない。

水の勢いにはまれば、どこへ流されるかわからない。自立していない人は、対立を恐れている。対決を恐れている。自立していない人は、目先のことしか考えない。この場をやり過ごすことしか考えないから対決できない。対決するということは、起きたトラブルを根本的に解決するということである。

自立しているか自立していないかを見分ける二つめは、自立している人は、淋しくても流されていない。自立している人も状況によっては淋しい。ただ、淋しいといっても、自立と孤独は違う。一人でいることは孤独ではない。孤独な人はその場さえよければいい。そこで流される。自立している人は違う。動くけれど流されていない。

三つめは、自立していない人は他人の協力を得られない。表面的には自立しているように見えるが、他人の協力を得られない人がいる。歪んだ自立と表現すべきような人である。本当は自立していないのに「偽りの自己」で自立していると思っている人がいる。世間を気にする人は自立していない。

執着性格者のように、心の中にいろんなことをため込んだ人は、なかなか自立ができない。心の葛藤から人は不安になる。そして心の葛藤が自立の妨げになる。

 

「いい人」の仮面の裏に潜む矛盾

執着性格者は、人に心を開くとか、打ち解けるとかいうことが難しい。無意識の領域に「見捨てられる」という不安と怒り、敵意があるのに、どうして簡単に人と打ち解けることができるだろうか。彼らが自己防衛的になる、つまり身構えるのは、その自分の心の中の敵意を相手に気づかれまいとしているからである。

執着性格者は、過度に人に配慮する。彼らが人に過度に配慮するのは、相手に敵意を気づかれまいとするからである。「私はあなたに敵意を持っていません、あなたに好意を持っています」と伝えたいのである。敵意を隠すために配慮をすると、どうしても過度になる。

そして、あまりにも配慮しすぎて気疲れする。それなのに、人と心はふれ合っていない。彼らがあまりにも、人が自分のことをどう思うかを心配するのは、一つには自己不在からであるが、もう一つはやはり自分の無意識にある敵意に気づかれないかと恐れているからだろう。

人によく思ってもらっているとわかると「ほっと」する。もちろん、それは一時的なもので基本的には不安である。その敵意は小さい頃からの生育の過程で積み重ねられたものである。その敵意は、無意識へと抑圧されている。そして反動形成として「いい子」「いい人」となって表現されてくる。

敵意と「いい人」は連鎖してお互いを強化していくことになる。つまり悪循環していく。「いい人」を演じることで敵意が増大し、敵意が増大することで、ますます「いい人」を演じて敵意を隠さなければならない。

そうなると、本人の心の中では矛盾がどんどん深刻化するばかりである。そして最後には、その激しくなった矛盾に耐えられなくなって、うつ病のようなかたちで挫折していくのであろう。

オーストリアの精神科医・フランクルが、うつ病を「生命のひき潮」と表現しているが、ここまでものすごい矛盾を抱え込めば、生きることが難しくなって当然である。彼らは矛盾を抱えて進むことも引き返すこともできなくなってしまう。そして同時に「今という時」にいることもできない。

そういう人はよく「ただ息をしていることも苦しい」と言う。まさに「どうにもできなくなっている」のだろう。人と打ち解けない人は、自分自身とも打ち解けていない。

人と打ち解けるためには、まず自分と打ち解けることである。そのためには、まず心の中の矛盾に気がつくことである。それが自分と打ち解けるための第一歩である。

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なぜ仕事を断れないのか

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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