なぜ仕事を断れないのか
しかし、うつ病になるような人は、何度も言うようにコミュニケーション能力がない。「いい人」と言われなければ生きていけない。そこが最大の問題なのである。小さい頃、トコトン孤独に追いやられた時点から、うつ病への準備が始まったのである。
途中で幸いにも、心やさしい人に出会えて、コミュニケーション能力を身につけて、自分の感情表現ができるようになったり、孤独でなくなったりする人もいるだろう。しかし、そういう人との出会いに恵まれないままに大人になってしまう人も多い。
オーストリアの精神科医ベラン・ウルフの「悩みは昨日の出来事ではない」という言葉を借りれば、「うつ病は昨日の出来事ではない」。うつ病になる人には「長い、長い」過去の歴史がある。
たしかに、直接的なきっかけは会社のストレスかもしれない。家庭でのストレスかもしれない。あまりにも忙しくて、休養がとれない日々の結果かもしれない。しかし考えてみれば、その会社にものうのうと楽をして高い給料をもらっている人がいるのである。
あるいは忙しい「ふり」をして怠けているだけの人もいるかもしれない。世界中が百年に一度の大不況と言っているときに、国民の税金を使って気の遠くなるような給料を掠め取っている人もいるのである。
真面目に必死で働いている人の血税を盗んで、高級な酒を飲んで女性と贅沢三昧をして笑っている人もいるのである。小さな世界でいえば、家庭でも家の仕事を手伝わないで、兄弟姉妹に押しつけて平然としている人がいる。大人になれば、親の介護を兄弟姉妹に押しつけてほくそ笑んでいる人もいる。
どこの組織にも必ずずるい人がいる。口先は立派だが無責任。人当たりがよいが、根はずるい。人を利用する、この搾取タイプはどこの組織にも必ずいる。大学などでも「ここまでずるく立ち回るか」という人がいる。企業ではもっと目につくだろう。
問題は、なぜうつ病になった人がその忙しすぎる役割を引き受けさせられたのかということである。引き受けなくてもよかったのではないか。おそらく、引き受ける羽目になった理由は三つある。
一つは、甘い汁を吸って生きる人たちの犠牲にさせられる習慣が身についていた、ということである。その人たちの周囲の人間関係には搾取と被搾取の構造がすでにできあがっていた。
もう一つは、本人が孤独だから、人から認められたくて、その損な役割を断れなかった。仕事を家にまで持ち帰るのは「早くこの仕事をしなければ、上司に何か言われるのではないか」と気にするからである。自分のしたいことがないままに、人の目を意識している。
あらゆることに「イエス」と言うのは、判断能力がないからである。仕事の量もコントロールできない。自分のエネルギーを考えないで、会社で無理な位置にいる。最後は、うつ病になるような人のやさしさである。気の毒なことに、そこまで無理に嫌な仕事を引き受けても、求めている賞賛がなかなか得られない。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。