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生き方

「夜更けにひとり、ぼんやりしているのが好き」世界的美術家・篠田桃紅の趣味事情

篠田桃紅(美術家)

2021年11月11日 公開

 

「趣味」について聞かれるといつも困る

私ぐらい無趣味の人間も少ないらしい。「お趣味は?」と聞かれるといつも困る。「ありません」といっても、そんな筈はない、という表情をする。「音楽は?」と聞かれる。好きだがとりたてて趣味としているわけではない。

「ゴルフは?」「いたしません」
「釣り、園芸?」「いたしません」
「ドライブは?」「いたしません」

というわけで素っ気ないことである。まさか朝寝坊と夜更かしが趣味だとも言えない。けれども、私は夜更けにひとりで、用もなくて起きてぼんやりしているのが好きである。寝てしまっては、今日という日はなくなる。時を惜しむ、という心が、湧然とこういう時間に湧いてくるのだ。

用事の組み込まれた時間は、いやおうなく現実的な色合いを持つから、本当の時間らしい時間、いわば無垢な時間というものは、夜更けしかないのだ。そういう時間を、してもしなくてもいいことに使うのは楽しい。なんにもしないでいるのはさらにいい。

ぜひやらねばならないことを、徹夜でやるのは趣味とは言いがたい。趣味をまっとうするためには、やるべきことは宵の口にやってしまわなくてはならない。仲間、広い地面、ものものしい道具、お金、夜更かしは、そういうもろもろの面倒なものはいっさい要らないので、なまけ者の私に向いている。

「思い」そう、思うことが涸れなければ、この趣味はいつまでも尽きない。たいした深刻なことは考えないが、越し方行く末を思い、それからそれへとほしいままのことを思い、人の上を思い......

(それを今まで書き留めていたら、随筆も巧くなったであろうに...すぐそういう邪心が入るからいけない。実益を考えないところが趣味の身上だ)

健康のためとか、付き合い上とか、品性向上だのと、なんのため、かんのためと、おマケのつく趣味はうっとうしい。しかし、私の思いというものも、いつか私のつくるものの中に、かたちをとるのである。

つくるもののかたちや線の中に、そのことを私は思い当たるのだ。つくられたものは、私の思いの、まあいわば可視的なかたちなのだ。趣味、と思っていても、やはり仕事の一部ではないのか......そういうことになるのなら、やっぱり私には趣味はないのであろう。

 

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