子どもの感性の豊かさを見落とさないために
長男が小学校高学年のころの梅雨時期、登校の際に持たせた傘を壊して帰ってきました。しかも、5日連続で。持ち手の部分が折れていて、もう使い物にならない状態です。
「なんで折れたん?」と尋ねると、長男は「なんか知らんけど、普通にさしてたら折れた!」と答えました。実際には自分で傘を振り回して折っていたのですが、私はその場面を目撃していないので、「安い傘だったから仕方ない」と自分を納得させました。
長男に、その当時のことを覚えているか聞いてみました。
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(長男コメント)
全然覚えてません。ただ傘は嫌いだったと思うし、いまだにあまり好きじゃない。もしかしたら、小学1年生の登校中、傘の持ち手の部分でこかし合いをして、頭を打って救急車で運ばれたことがあるので…それ以来好きじゃないのかも。
あと、濡れて帰るのが好きでした。あ、もしかしたらお漏らしをよくしてたので、洗ってたのかな(笑)。でもけっこう雨は好きで、雨であふれた溝の中を泳ぐように、びしょびしょになりながら帰るのが好きで、もしかしたら傘が邪魔だったのかもしれません。
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長男が傘を折ったのは、傘が好きじゃなかったこと、友だち同士で傘を使ったいたずらをしてケガをした記憶があること、そして何より雨が好きで濡れたかったことが理由だったのです。私は驚くと同時に、子どもには子どもの考えがあるのだと思い知りました。サッカーの練習では、雨の日でも濡れて泥んこになりながらプレイします。それなのに、なんで学校に行くときは濡れてはいけないんだろう…という理屈です。
「傘をさしたくないの? それはどうして?」と当時聞いていれば、傘が5本も壊れることはなかったかもしれません。雨に濡れると風邪が心配ですが、帰宅後すぐに乾いたタオルで拭けば大丈夫でしょう。子どもの感性に寄り添わないまま叱ってしまうと、その豊かさが失われてしまうように思います。頭ごなしに叱らない方法がきっとあるはずです。
親が子どもに厳しいことを言ったり叱ったりするとき、根拠となっているのは大人の理屈です。大人から見てやってはいけないこと、危ないことを子どもがしたときに、「なんでそんなことするの!?」「危ないでしょ!」となるわけです。ですが、子どもには子どもの理屈があります。そこに気づかないまま叱っても、子どもには響きません。
子どもに見えている世界と、大人が見ている世界は違う。いったんそう気づくと、「あのとき、この子はこんなふうに考えていたのかも」「本当はこういうことを言いたかったんじゃないか」とあれこれ浮かんでくるものです。