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生き方

「模範的な生徒だった」 罪を犯してしまう人の危うい成長過程

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年03月10日 公開 2023年07月26日 更新

 

本当の意味で人生に積極的になれない

擬似成長の人は、実存的な欲求不満です。社会的に見ると成長しているように見えますが、実存の部分は空白です。

生存というのは、食べたり、寝たりということ。一方、実存というのは、生きている意味、生きがい、生活のはりのようなものです。擬似成長の人は、そうした部分に不満を抱えているのです。

たとえ社会的には適応していても、本能衝動の防衛には失敗していて、自己疎外感を持っています。

うわべは立派ですが、本当の意味で人生に積極的ではない。心の底では深刻な劣等感を抱きながらも、表面的には人生に失望していないように見えます。

アメリカの心理学者デヴィッド・シーベリーは、「人間の義務はただ1つ。自分が自分であること。他の義務はありません。あなたがあると思っているだけです」と述べています。

ところが、擬似成長している人は、人生の本当の義務から逃げています。本当の義務から逃げて、人々の注目を集めることに努力しています。

「それ以外の義務はありません。あなたがあると思っているだけです」という言葉が示すように、擬似成長している人が義務と思っていることは義務ではありません。試練に立ち向かう勇気が欠如しているだけです。

「自己疎外感」というのは、自分が自分でないという感覚です。この自分が自分でない人が親になると、子どもに対してものすごく権威主義的な接し方をするようになります。そうした親が愛と思っていることは、執着に過ぎません。執着を愛と言いつくろっているだけです。

本当の自分と向き合う危険を避けてしまうと、存在感喪失症状や、実存的欲求不満、毎日イライラするなど、いわゆる不安な人の症状が出てきます。本当の意味で不幸なので、人の幸せを願う気持ちにもなれません。

「自分が自分であること」が唯一の義務というのは、そういう人は本当に人の幸せを願うことができるからです。ところが自分でない人生を生きている人、自己疎外の人というのは、人の不幸を喜ぶようなことをします。

例えば嫉妬というのは、自己疎外された人の心理です。自分の無意識にある敵意に気づくことの重大さについては、すでに述べましたが、自分の無意識にある憎しみに気づくことは、本当の幸せの出発点になるのです。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。    

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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