うちの子になる?
プが「うちの子になる?」と言って、わたしをヒョイと抱き上げた。でもヨッパライだから、プは抱き上げた瞬間に、うしろに大きくゆれた。
「プ。ここから家まで、ゆっくりと歩いても、10分はかかるよ。その間に、この時間でも大きなトラックとかが通る道路が、2つもある。この子が車に驚いて逃げだそうとしたら、プはそんなおぼつかない足取りで、この子を守れるの?」
プは一言、
「ダイジョーブ」
「大丈夫じゃないから、言っているんだよ?」
「ダイジョーブ。知っているでしょ? 私の実家は、物心がついたときにはすでに猫屋敷って呼ばれるくらいに、猫だらけだったの。だから、どんな猫でも抱っこするのは上手いほう」
ランがつかの間、プの腕のなかにいるわたしと、プを交互に見つめた。
「分かった。プが大丈夫というのなら、この子に車やいろいろな怖さを感じさせないように、俺がここからの10分と少しは、なにがなんでも、あなたたちの前に立って、身を張る。プはこの子を不安にさせない抱っこだけに集中して」
わたしがこの場所からどこに行ったらよいのかが、わからなかった不安のひとつは、ランがいうおおきな車や音や道路というもの。歩いてみたり、横切ったりが、できそうにない場所。
それらをいまから一気に乗りこえて、まったく知らない場所に行くだなんて。でもなんだか、やっぱり、もう、どうでもよい。この腕のなかから逃げたって、その先、なにかがおおきく変わるような気がしない。
猫がいる! 猫がいる!
ひとつめの、「あそこは通ってはならない」と決めていた場所。ランは「道路が静かになるまで、待とう」って言ったけれど、わたしは猫だから。
ヒトよりもいろいろな音が聞こえてしまって、ランが「もう、とうぶん、次の車は来ない」って言っても、わたしには、もっと先の、つぎの車の音が聞こえてくる。やっぱり逃げたほうがよいのかな? 足にすこし力をいれると、
「ラン、この子、怖がり始めた!」
ヨッパライが歌ったり、ヘンな声を突然に出すのは知っている。
「落ち着いて!」ってランがふり向いて、わたしがもっと足に力をいれたとき。プはいままでのヨッパライからは聴いたこともない、歌でもなく声でもない素っ頓狂な音を出した。
あつい あつい 夏の夜
おなか ぺこぺこ
のみ ぴんぴん
のども ホントにカラカラだ
あつい あつい 夏の夜
それも あとすこしで おわります
すずしくって おなかも ぱんぱん
お水も たくさん ありますよ
もう すこし ガマンしてくださいな
これって、歌? 逃げようとして最後にこめた力がしゅぅっと抜けた。ほんとうに、ほんとうに、もう、ほんとうに、どうなってもいいや。
それからもゆらゆらとしたプの腕のなかにいたら、まえにいるランが「ここが、最後の難所!」とぐぅっと背中をおおきくした。
ずっとずっと、すぐそばから、いろいろな車の音が、あおってくるように絶え間なく聞こえてくる。
抱かれるまま、ひとつの建物のまえに着いて、そのなかのエレベーターというちいさな箱にはいった。上へあがっていく。エレベーターがひらいて、「長かったね~」と言いながら、プがわたしを下ろした場所からは、さっきまで怖かった車や道路がはるか下に見えた。
「この階には俺たちしか住んでいないから。まずは落ち着いて。入りたくなったらお家に、お入り」とランがドアをあけた。迷うよりも、ドアのむこうから流れてくるヒンヤリとした空気につられて、ふらりとなかに入ってしまった。
うしろでドアがパタンと閉まる音がして、プが叫んだ。
「わ~っ! 玄関に猫がいる! ちょっと待って、ちょっと待って! 猫がいるよ! 猫がいるだけで、玄関の雰囲気がぜんぜん違うよ!?」
もしかしたら、このヒトたちは、いままで見た誰よりもとんでもなくヨッパライ? わたしを抱いて帰ったから、いま、わたしはここにいるんでしょ。わかっているのかな?
でもランもプも、「猫がいる! 猫がいる!」って、いままで見たどんなヒトよりも、とんでもなく、はしゃいでいる。なんども、なんどもなんども、「猫がいる! 猫がいる!」とはしゃいでいる。