「なにかできることはありますか」、その一言だけでいい
それから、3年後。わたしたちは、ニューヨークにやってきた。これもまたお仕事だった。
ニューヨークの街のバリアフリーは、設備や道路は古いものの、ミャンマーに比べればずっと進んでいた。でも、日本ほどは進んでいない。お店の入り口には階段があったり、重い扉があったり。地下鉄のエレベーターはほとんどが故障中だった。
「どうしようかな」バリアに出くわす度、立ち止まってみるけれど。ニューヨーカーたちは、足早に通り過ぎていくだけだった。ミャンマーみたいに、人混みの中から突然、だれかがかけ寄ってくることはなかった。まあ、しょうがない。
タイムズスクエアにある、コンサートホールに入った。
車いす席はなく、通されたのは一般のスタンディングエリアだった。当然、母の目線からはステージが見えない。最前列ならば見えそうだったが、すでに早くから席をとっていた人たちで埋まっている。
「音だけ聴けたらいっか」母と話していると、後ろに立っている人が声をかけてきた。
「そこからじゃなにも見えないでしょ? 前に行きましょうよ」
ゴリゴリに強面で低い声の男性だったのに、しゃべり方が完全に上品な女性のそれで、いろんな意味でびっくりした。
「えっ、でも......ほかの人に悪いですし」
「大丈夫よ。エクスキューズミーっていえばちゃんとゆずってくれるわ。ニューヨーカーは心が広いんだから」
そういうなり、その人は母の車いすを押して「エクスッッッキューズミィイィィ!」と叫びはじめた。低音が響き渡った。
「なにごとか」とみんなはふり返るものの、母を見るなり「オーケー」と、笑顔で次々に道をゆずってくれる。海を割るモーセのようだった。ついに母は、ステージがばっちり見える最前列まで来てしまった。
「ウフフ、わたしまで前に来れたからラッキー。なーんちゃって」
おどけて、その人は笑った。最高にかっこよかった。
街のことを不思議に思ったら、通訳さんに聞くのが一番よいと、わたしは信じていた。翌日わたしは、ニューヨーカーである通訳さんと会うなり、聞いてみた。
「最初はニューヨークの人、冷たいのかもって思ったんですが、誤解だったかもしれません」
「そうだね。ニューヨークは多様な人が入り交じる街なんだよ。性別、年齢、国籍、宗教も違う人が当たり前に一緒に暮らしてる。それだけみんな、考えてることもバラバラなんだ。だから、いちいち声をかけて、手助けを押しつけたりしない」
「なるほどー、手助けが必要かどうかも人によって違うってことですね」
「うん。あと単純に、人が多すぎるからね。でも助けを求めてる人となれば、話は別だよ。手伝ってってお願いしたら、快く応じてくれることが多いよ」
街でニューヨーカーたちが助けてくれなかったのは、冷たいからではなく、わたしたち親子が困っていなさそうに見えたからだったんだ。だから気にしなかったというわけだ。
最初は「ニューヨーカーってちょっと怖いね」ととまどっていた母が、3日目には「なんか居心地がいい。わたしってニューヨーカーかも」といい出しはじめて笑った。絶対に違う。
日本で暮らしていると、母はたまに気まずい思いをするそうだ。
遠巻きにジロジロ見られることもある。それは「あの車いすの人、大丈夫かな?」と心配してくれているのかもしれないけど、「大丈夫だから気にしないで」と自分からいうわけにもいかず、そそくさと立ち去るしかない。
「車いすに乗ってようが、困ってなかったら放っておいても大丈夫でしょ」と、さっぱりしたニューヨーカーの対応が、母はなんだかうれしかったみたいだ。
助けるってのは、声をかけて身体を動かすより、視点を動かして相手のことを思うことかもしれない。
先まわりして助けてほしい人もいれば、放っておいてほしい人もいる。日本、アメリカ、ミャンマー、どの国の対応が心地よいかなんて、それぞれ違う。
だから「なにかできることはありますか」と、一言聞くだけでいいんだ。助けなきゃって押しつけるでも、見て見ぬふりをするのでもない。大切なことだなあ。
2020年1月はハワイに行ったのだけど、ハワイの人たちのふるまいも最高にゆるくて明るくてハッピーだったので、母は3日目に「わたしの前世はハワイの先住民だったと思う。居心地がよすぎるもん」といい出した。ニューヨーカーだったり先住民だったり、忙しい人である。
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