1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 車いすに乗る人がなぜミャンマーで大人気? 本当に優しい「助け方」とは?

生き方

車いすに乗る人がなぜミャンマーで大人気? 本当に優しい「助け方」とは?

岸田奈美(作家)

2023年04月06日 公開 2024年12月16日 更新

車いすに乗る人がなぜミャンマーで大人気? 本当に優しい「助け方」とは?

自身の家族との出来事を中心に「楽しい」や「悲しい」など一言では説明ができない情報過多な日々を、ユーモアあふれる文章でつづってきた作家の岸田奈美さん。彼女のエッセイ集は多くの注目を集め、5月には連続ドラマ化されることも決定しました。

そんな岸田さんは、以前、車いすユーザーのお母さん・ひろ実さんとミャンマーへ行くことに。最貧国ともいわれ、インフラ整備の進んでいないミャンマーでは、車いすでの移動はむずかしいのではと考えていたそうです。

しかし、現地の通りすがりの人々は、次々と車いすでの移動を手助けしてくれます。そこには、ミャンマーの宗教が大きく関わっていました。しかし、手助けしてくれるからといって、それが、障害者が生きやすい社会だとはいえないことにも気づきます。

※本稿は、岸田奈美著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし』(小学館文庫)から一部抜粋・編集したものです。

 

ミャンマーで、オカンがぬすまれた

土ぼこりと魚醬の匂いがするミャンマーの市場で、わたしは立ちつくしていた。

車いすに乗る母の背後には、なぜか子どもの托鉢僧が、何人も連なっていた。その場から動けば、ついてきて。そしていつの間にか、増えていて。

きみたちは、あれか。ピクミンか、なにかか。

「どうしよう......」母は困り果てた顔で、わたしに助けを求めた。もちろんわたしは見て見ぬフリをした。

奇怪な状況すぎるので、実の親であろうとも迷いなく他人のフリをした。全力で演じまくった。演技などしたことがなかったわたしが、ミャンマーの地で、倍賞千恵子を彷彿とさせる名女優になった。

わたしたちは、日本財団さんに招かれ、お仕事をするためにミャンマーへやってきた。いまだからいえるが、この話をいただいたときは「ありがてえ」と「おっかねえ」の感情が、ハーフ&ハーフだった。

ミャンマーはアジアの後発開発途上国。最貧国といわれることもある。インフラの整備状況は、50年前の日本に近い。

わたしは想像した。きっと道路はひび割れや砂利だらけ。エレベーターどころか、スロープさえもあるのかあやしい。そんなところを、車いすで移動できるイメージが、まるでわかなかった。おっかねえ。

わたしと母が海外出張するときは、内容に関わらず、いつもふたりセットだ。

ペーがしゃべるなら、パーも。
ミッチーが出るなら、サッチーも。
ひろ実が行くなら、奈美も行かなければならないのだ。

わたしは腹をくくって、ミャンマーへ飛んだ。

ヤンゴン国際空港に降り立ち、迎えの車に乗り込んだ。窓から街をながめてみる。道路や階段の状況は、入国前の想像と寸分たがわぬ絶望っぷりだった。そら見たことか。

最初の目的地であるレストランに到着し、バスを降りる。わたしはとても緊張していた。なぜなら、お仕事で呼んでもらっているのだから、ちゃんとしなければならない。車いすでの移動にもたついて、まわりの方々を待たせるなんて、やってはいけないのである。

しかし、その心配は一瞬で立ち消えた。一瞬でふたりの青年がやってきて、一瞬で母の車いすを押していったからだ。

えっ?

あまりの流れるような展開に、わたしは思った。

オカンがぬすまれた、と。

たずさえてきた『地球の歩き方』には、財布とパスポートがぬすまれたときの対処法は書いているが、オカンがぬすまれたときのことまではカバーされていない。どうしよう。

でも、オカンはぬすまれていなかった。青年たちの手によって、あれよあれよという間に、母の車いすは急な坂道を越え、段差を越え。レストランの奥まった席に、母はキョトン顔で鎮座していたのだった。あの青年たちは案内してくれたのか、とようやく気づいた。

すごく気のつく青年たちだなと、のんきに感心していた。しかし、ミャンマーで滞在日数を重ねるうちに、様子がおかしいことに気がついた。ミャンマーで過ごした5日間。母はほとんど自分で車いすをこがずに、移動していた。

寺院、学校、ホテル、農村、病院。いろいろなところへ行ったが、どの場所でもバスから降りた瞬間、何もいわず近づいてきて、車いすを押してくれる人が現れるのだ。

店員さんや係員さんならまだわかるが、驚くことにそうではない。普通の人たちなのだ。しかも、通りすがりの。男性も、女性も、大人も、子どもも。「あんたを手伝わなくて大丈夫か」といいたくなるような、ヨボヨボのおじいさんまでも。

みんながみんな、坂道では車いすを押し、階段では車いすをもち上げ、なにごともなかったかのように去っていく。

だからどんな場所でも、車いすでの移動に不自由しなかった。

 

車いすに乗っている人はお金持ちの王様!?

さらに不思議なことがあった。

「ありがとう」と母が感謝を伝えると、助けてくれた人たちはキョトン顔をするのだ。母もわたしもキョトン顔をしているので、急にキョトン顔人口密度が爆増することになる。

こんなこと、日本ではありえない。なにもかも。

「この国では、車いすを押すフラッシュモブでも流行ってるんですか?」

わたしは、ミャンマー人の通訳さんにおそるおそる、たずねた。やっぱりキョトン顔をされた。

「ああ、それはミャンマー人が信仰している宗教のせいですね」

通訳さんの説明によると、ミャンマー人の90%近くは、仏教を信仰している。それもかなり熱心に。日本でメジャーな仏教とは少し違う、上座部仏教といわれるものだ。輪廻転生つまり生まれ変わりを信じており、現世で徳を積めば、より良い来世を送ることができると考えている。

そう。彼らはみんな、徳を積んでいたのだ。車いすに乗る母を、助けることによって。

バリアだらけの街で、車いすに乗ってボーッとしてる母は、絶好の積み徳ボーナスチャンスだったのだ。スーパーマリオブラザーズでいうところの、1アップキノコだ。

彼らは、彼ら自身の来世のために助けたのだから、相手からお礼をいわれることの方がめずらしいそうだ。だからあの反応だった。

なーにがフラッシュモブだ、わたしのバカ。

「めちゃくちゃ優しい国なんですね、すばらしい」わたしと母が絶賛すると、通訳さんは思いのほか苦笑いした。

「でも、車いすに乗っているミャンマー人はほとんど見かけないでしょう?」

ハッとした。いわれてみればそうだった。車いすに乗っているのは母くらいで、たまに見かけることはあっても、それは明らかに外国からの観光客だった。

「輪廻転生には、障害者は前世で悪いことをした人っていう考え方もあるんです」

わたしと母は、絶句した。

「困っていたら助けるけれど、障害者が外出しやすい環境をつくったり、働きやすい制度を整えたり......って思う人はあまりいないんです。自業自得だって考えることが多いから」

ミャンマーの農村地域では、障害者が生まれると、ずっと納屋に閉じ込めてかくし通すことすらもあるそうだ。はずかしい、と思う家族もいる。

徳を積むという行為のおかげで、わたしたち親子はミャンマーで、なにも不自由なく過ごすことができたけれど。それは、障害者が生きやすい社会とイコールではない。

翌日、ミャンマーで障害者が生きやすい環境をつくろうと声をあげている当事者団体の人たちと出会った。街の環境も、人々の意識も、少しずつ状況はよくなっていることを知ってホッとした。それでも、今日もまだ彼らは戦い続けている。

滞在最終日。おみやげを買うために、わたしたちは市場へおもむいた。そこで冒頭の子ども托鉢僧ピクミン事件に戻る。

「なんでゾロゾロついてくるの?」わたしは、先頭のひとりにたずねた。

「こんな乗りもの、はじめて見たよ。これに乗ってるってことは、えらい人なんでしょ。きっと王様だよね」

なんと、車いすに乗る母様は、馬車に乗る王様だと思われていた。母様がそんなにお金持ちではないことを知った托鉢僧たちは、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

次のページ
「なにかできることはありますか」、その一言だけでいい

著者紹介

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×