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5月12日(金)より、アニメ映画『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』(監督:塩谷直義)が公開される。
物語の舞台は約100年後の日本。人間の心理状態や性格傾向を計測、数値化する「シビュラシステム」が国の舵取りを担うなか、公安局統括監視官の主人公・常守朱(つねもりあかね、声優:花澤香菜)や狡噛慎也(こうがみしんや、声優:関智一)は、シビュラシステムをも揺るがす大事件に立ち向かう。
今作は、劇場版『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に__』とTVアニメ3期をつなぐ新たなエピソードだ。構成・脚本を務めるのは、『天地明察』などの代表作をもつ小説家・冲方丁氏。TVアニメ2期の構成や3期の脚本・構成に引き続き、『PSYCHO-PASS サイコパス』の物語を編む。
管理社会は人間に幸せをもたらすのか、本当の正義とは何か――。本シリーズが問うてきたテーマから現実世界との関連性、そしていま物語を紡ぐことの価値などについて聞いた。
<聞き手:編集部・中西史也>
※本稿は『Voice』2023年7⽉号より抜粋・編集したものです。
世界の分断は深まっている
――本作では、罪を犯す可能性を計測した数値「犯罪係数」のみならず、紛争が起きる危険性を示す「紛争係数」という概念が出てきます。現実世界ではロシア・ウクライナ戦争が続いている状況ですが、今作の脚本で現在の国際情勢をどの程度意識されたのでしょうか。
【冲方】じつは本作は第3期TVシリーズと並行して2016年に制作していて、現在の戦争はまったく予期していませんでした。制作当時は、ドナルド・トランプ氏が米大統領選挙に勝利して「トランプ旋風」を起こしていた時期です。
トランプ氏が移民に対する差別的な発言を繰り返すなか、ある種「鎖国」的な世界観を描く『PSYCHO-PASS サイコパス』での表現方法には細心の注意を払いました。物語のなかで外国人差別をする人間はいるけれども、主人公はそうではない。決して差別を助長する作品にはしたくなかったのです。
――TVアニメ3期から新たな監視官(『PSYCHO-PASS サイコパス』シリーズの世界において、捜査活動の全責任を負うエリート刑事)として登場する炯・ミハイル・イグナトフ(声優:中村悠一)は奇しくも、ロシア系の帰化移民二世ですね。
【冲方】炯の人物造形を当初話し合っていた際、アジア系の設定で考えていました。ただ、前の劇場版(『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』2015年)の舞台はアジアだったので、物語の広がりをつけるためにロシア系にしようと。2014年にウクライナのクリミアがロシアによって併合されたこともあり、炯は紛争地帯で育って軍事訓練も受けている設定です。
また今回の劇場版のキーパーソンでもある砺波告善(となみつぐまさ、声優:大塚明夫)については、紛争地を渡り歩いてきたという情報だけで人物像を作中でほとんど説明していません。
代わりに、ガリガリに痩せた子どもの死体を抱える砺波のシーンを見せるだけで、彼がよほど酷い環境で育ってきたことがわかるはずです。制作段階ではウクライナで戦争が起きるとは思ってもみませんでしたが、図らずも本作の見方に影響を与える出来事になってしまいました。
――砺波が死体を抱えるシーンは数秒であるにもかかわらず、強く印象に残っています。
【冲方】監督が絵コンテで足したシーンなのですが、残酷な場面の意味が観る側にすぐ伝わるということは、現実が悪い状況であることの裏返しです。本来ならばその逆が望ましいのですが。『はだしのゲン』が原爆による悲惨なシーンを強調して描いているのは、同作が世に出た戦後日本が平和だったからでしょう。これから生み出される作品も、いまよりも平和な時代に届けられるべきだと心から思います。
――ロシア・ウクライナ戦争の前には新型コロナのパンデミックが世界を襲い、世の中は一変しました。これほどの感染症の脅威については、戦争の勃発と同様に予期されていなかったのではないでしょうか。
【冲方】ええ、想定外でした。それでも僕は当初、ウイルスという「共通の敵」が現れたことで、人類は協力して対立が和らぐのではないかと一縷の望みを抱いていたんです。ところが現実には、ブロック経済化が進み、価値観の異なる国々のあいだで情報が分断してしまった。すると人びとは、自分たちが得た情報がすべてなのだと思い込んでしまいます。
ロシアがウクライナに侵攻したのも、プーチン大統領が「1週間もあればキーウを陥落させられる」と誤認したうえでの決断な気がしてならない。社会の分断が進行すれば、人類はますます愚かな方向に向かってしまうのではないでしょうか。
日本は本当に自由主義・民主主義か
――本作での日本はシビュラシステムによる管理社会ですが、現実には自由・民主主義の価値観に基づく「西側」の立場にいます。現在の世界における日本の立ち位置について、冲方さんはどう考えていますか。
【冲方】たしかに日本は自由主義・民主主義を掲げているけれども、実態は「日本主義」にほかなりません。日本国内での外国人差別は珍しくないし、コロナ禍での入国制限然り、日本人という画一性を守ることに頓着しています。では日本が主体的に政策を決めているかというと、「日本主義」をめざしているように見えてアメリカに追従している場合が少なくない。とくに防衛産業や宇宙産業といった軍事に関わる分野においては、日本独自で進めると言いながら、つねにアメリカの顔色をうかがっている節があります。
――では、アメリカ追従の「日本主義」から脱却すべきでしょうか。
【冲方】ここが難しいところで、先ほどの外国人差別などは変えるべきところです。一方で日本には、変化が激しい世界のなかで、変化が遅いからこそのアドバンテージもあります。
たとえば昨今の米シリコンバレー銀行の破綻では、同銀行に預金している日本の企業はほとんどなかったため、影響はきわめて限定的でした。先進国に後れを取っているのだけれども、それらの国が大事故を起こしたときに日本はバスに乗っていなかったから無事という事態もありうるわけです。
――皮肉ですね。そう考えると、『PSYCHO-PASS サイコパス』での日本も現実の日本も、「異質な自国主義」という点で共通している気がします。
【冲方】ええ。やはり『PSYCHO-PASS サイコパス』は、現実と切っても切り離せない作品です。一方で作中における日本で最も良いのは、ジェンダーの問題が解消されている点です。シビュラシステムがAI(人工知能)によって人びとの職業を適材適所で差配していくので、性別による差別は一切ないわけです。
――たしかに主人公の常守朱のみならず、監視官の霜月美佳(しもつきみか、声優:佐倉綾音)、分析官の唐之杜志恩(からのもりしおん、声優:沢城みゆき)など、女性キャラの活躍は目を見張ります。
【冲方】しかもただ女性の数を増やしたのではなく、純粋な能力と適性によって選ばれていますからね。朱はシリーズのなかでどんどん出世していって、住む部屋のグレードも明らかに上がっていきます(笑)。ジェンダー平等については、人間ではなくAIが意思決定を担っているからこそ実現している世界観と言えるでしょう。
『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』2023年5月12日(金)全国東宝系にて公開。[(c)サイコパス製作委員会]