2022年4月にパワハラ防止法が施行されるなど、現在では「職場のパワハラ対策」は相当に進んだように思われる。しかし、それでもパワハラをしてしまう人たちは存在する。彼らはなぜパワハラをしてしまうのか、その根本にあるものは何か、そして彼らは変わることができるのか――。
本記事では、ノンフィクション作家の石井光太氏による「ハラスメント対策の現場」の取材から、「パワハラという言葉が浸透した今、起きている新たな問題」に迫る。
なぜパワハラの相談件数は増え続けているのか
現在、国に寄せられる労働相談は15年連続で増加しており、120万件を超えている。その中でもっとも多いのが「いじめ、嫌がらせ」、つまり企業内で起きているハラスメントなのである。
筆者は取材の中で、会社内で上司からのパワーハラスメント(以下「パワハラ」)によって心を病んだ人たちに数多く出会ってきた。
――同僚や部下のいる前で、上司から人間性を否定されるような言葉で罵られた。
――休日や帰宅後の深夜まで電話やメールがあり、仕事の進展状況を細かく聞かれた。
――直接言うのではなく、クライアントや同僚に悪口を言われつづけた。
パワハラの被害者である30代の男性は次のように語った。
「仕事の失敗を咎められるならまだしも、おまえは仕事をする目つきをしていないとか、おまえのダレた態度がチームのみんなに伝わって士気が下がるとか、漠然としたことで文句を言われつづけるんです。
目つきなんて生まれつきだし、態度をどう受け取るかは主観的でしょ。でも、それを言っても『屁理屈をこねるな』と取り合おうとしない。挙句『おまえは東北の人間だから』だとか『独身で家庭を持ってないから』なんて言われる。会話が成り立つような相手じゃないんです」
企業で起こるパワハラとは、上司がその地位を乱用して弱い立場の部下に嫌がらせをすることだ。仕事とは関係のない話を持ってきて相手を罵ったり、人格否定するような表現をしたりする。
逆にいえば、上司が部下の気持を汲み取り、適切な表現によってコミュニケーションを取れないことで引き起こされる。そういう意味では、パワハラが起こる背景には国語力の脆弱さがあるといえるだろう。
日本でパワハラの概念がクオレ・シー・キューブ社の岡田康子氏によって提唱されたのは2001年だ。それから20年以上が経つにもかかわらず、なぜ今も相談件数が増えつづけているのか。
現代特有のパワハラの形と、それが引き起こされるメカニズムについて、岡田氏に話をうかがいながら考えたい。
「なぜ?」を連呼する上司...パワハラは精神的な暴力へ変わった
東京都の神保町駅にある閑静なオフィス街のビルに、クオレ・シー・キューブの事務所は入っている。応接室に現われた取締役の岡田康子氏は、凛とした空気を醸し出しつつも、随所で思考の柔らかさが感じられる人だ。
クオレ・シー・キューブは、これまで多くの企業で各種ハラスメント対策を行ってきた。長きにわたってパワハラの変遷を見ている中で、何か大きな変化はあるのだろうか。私がまず尋ねたのはその点についてだった。
岡田氏は次のように話した。
「昔と比べると、パワハラの形は変わってきています。昔は上司の不適切な行為によって行われることが多かったですが、最近では言葉でもって部下を追いつめるようなものになっているのです。
よくあるのは『なぜ』という言葉の悪用です。部下に対して『なぜできないんだ?』『なぜなんだ?』といった言葉をよく使います。
一般的に『なぜ』は理由を尋ねる言葉ですが、行為者(パワハラの加害者)は初めから相手の意見に耳を傾ける気持ちがありません。なぜと訊いておきながら、その言葉で部下を責めている。それが言葉の暴力となって部下を苦しめるのです」
20年ほど前に企業で起きていたパワハラは、上意下達の企業風土の中で誰の目にもそれとわかるようなものだった。上司が部下を呼びつけて何人もの社員の前で大きな声で怒鳴りつけるとか、書類や灰皿を投げつけるとか、ひどい時には暴力行為に及ぶといった形で行われていた。体育会系の古いしごきが、企業でもそのまま行われていたといえるかもしれない。
ところが、社会にパワハラの概念が広まり、国がそれを定義して企業に注意を促したり、訴訟問題が公になったりしたことで、企業も段々とコンプライアンスに力を入れるようになった。これによって、ビジネスマンの間にパワハラは違法行為という意識が高まっていった。
新しい風潮の中でパワハラは減少していくかに思われたが、実態はそうではなかった。露骨な暴力行為が減った代わりに、言葉や態度による陰湿ないやがらせへと変化していったのだ。
たとえば、昔のパワハラの典型的なセリフの一つに「言われたことを覚えられないなら犬と同じだ。今すぐ会社を辞めろ!」というものがあった。「犬と同じ」「辞めろ」は人格否定や辞職の強要につながり、現在ではパワハラと認定される。
そのため、最近の人はそうした表現を使わず、「俺、君に教えたよね? 違ったっけ? え、俺の勘違い? じゃないよね?」などと遠回しな言い方をして部下を精神的に追いつめるのである。
岡田の言う「なぜ」も同じだ。「なぜできなかったの?」「なぜ俺に報告しなかったの?」「なぜ帰ったの?」と疑問形で尋ねておきながら、相手のミスを責め立てているにすぎない。
これは、上司が自分を防御しつつ部下を攻撃するために作り出した悪質な表現といえるだろう。言葉の上では部下に意見を聞いているように見えるが、実のところは部下の逃げ道を絶って「おまえが悪いんだ」と非難しているだけだ。たしかに怒鳴ってもいなければ、手も上げていないが、言われた部下の心のダメージはそれと同じくらい大きい。
似たような事例で思い浮かぶのが、学校のいじめだ。
1980年代から1990年代にかけて、学校での身体的な暴力によるいじめが問題になったことで、国を挙げて予防対策を行った。これによって子供たちはあからさまな暴力をふるわなくなったが、代わりにクラスメイトを無視する、陰口を囁く、ネットに悪口を書くといったスタイルでいじめを行うようになった。
パワハラにせよ、いじめにせよ、国に規制されると、露骨な暴力が見えにくい精神的な暴力へ変わっていくものなのだ。
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「自分はパワハラ被害者です!」と吹聴...言葉が浸透した弊害