「自分はパワハラ被害者です!」と吹聴...言葉が浸透した弊害
社会にパワハラの概念が広まる中で、旧来にはなかった上司と部下の新たな言葉の齟齬も生じている。岡田氏は言う。
「世間にパワハラの概念が広まることは防止の上ではとても重要なことです。ただ、その意味をきちんと把握していない人が、なんでもかんでもパワハラだと主張することがあります。そう表現すれば、自分が正しくて、上司が悪いという構図を作ることができる。パワハラという言葉が、本来の意味とは異なる形で解釈され、都合の良いように使われてしまうのです」
筆者が取材した事例の中にも同様のことはあった。
ある企業に大学を卒業したばかりの新卒の女性社員が入ってきた。彼女は希望していた商品開発の仕事ではなく、営業の部署に配属されたそうだ。
営業部では、40代の課長が主に若手社員の指導を行っていた。男性課長は、新卒の女性社員の仕事ぶりをきちんと見て、折に触れて「自分の苦手なことをピックアップしてできるように努力しよう」とか「仕事のやりとりはメールではなく直に会って行うように」などとアドバイスをした。彼にしてみれば、新人に対する教育の一環だったに違いない。
ところが、新卒の女性社員はそうは受け取らなかった。
「上司は私の能力を発揮できる部署に配属してくれなかった」「それなのに欠点ばかりを粗探しされた」「嫌がらせのように直接会いに行けと言われた」と考え、別の部署にいる同期に「自分はパワハラの被害者だ」「あの部署は訴えられるべきだ」と触れ回ったのだ。
部長の耳にこのことが入った。部長はその女性社員と個人面談を行い、事実を確かめた。彼女はパワハラを受けていると主張したが、課長の言葉はそれに当たらなかった。部長がそれを指摘したところ、彼女は「この部署には女性が少なすぎて時代に合っていない」とか「私が受けた事例をネットで公開して一般の人の意見を聞いてみてください」などと話を大きくしはじめる。
部長は困り果てた。このまま放っておけば、営業部だけでなく、会社全体に悪影響をもたらすのは間違いない。そこで部長は役員と相談し、ひとまず彼女が当初希望していた商品開発の部署に移し、希望の仕事をさせてみることにした。それで心機一転、仕事に集中してくれればいいという思いだった。
だが、半年後、彼女は突然辞表を置いて会社を辞めた。辞表の理由は、パワハラが横行する職場に耐えられないので、新しい会社に移るというものだった。彼女は転職後もパワハラを受けたといろんなところで語っていたらしい。
上司と部下のコミュニケーションは、反対に築きにくくなっていないか?
この例などは、女性社員がパワハラという言葉を本来の意味とは異なる形で使い、自分を正当化したものといえるだろう。本来であれば、女性社員はパワハラと決めつける前に他の社員に相談するなどして状況を客観的に判断し、自分に落ち度があるところは直し、そうでないところは話し合いによって解決するべきだ。
だが、それをせず、一方的にパワハラと主張することで、自分が100%正しく、相手が悪いという構図を作り上げたのだ。上司が部下に行うのとはまた異なる形での、言葉の悪用だ。岡田氏は言う。
「パワハラという言葉が独り歩きすると、企業の上司は戦々恐々とします。自分に罪はないのに、部下がいきなりパワハラと決めつけて責めてくるのではないか、と。だから、企業の講演会などへ行くと、『どこからどこまでがパワハラなのでしょうか』という質問を良く受けます。
よほど露骨な行為ならともかく、パワハラは関係性や状況や言葉のイントネーションを含めた総合的なものなので、この言葉を発したらダメとか、この行為をしたらダメという明確な線引きはありません。
だからこそ、上司と部下が適切な関係性を築かなければならないのですが、最近はそうなっていません。上司に問題があることもありますが、部下である若い人たちも積極的に関係性を作ろうとする姿勢が足りないことがあります。何かあっても、上司に聞かず、ネットで調べて自己判断してしまう。そうなるとなかなか関係性を構築することはできません」
上司にしてみれば、部下との適切な関係性が作れなければ、いつ自分の言動がパワハラとされて騒ぎ立てられるか気が気でない。だから過度に萎縮して、あれもやめよう、これもやめようとなる。
最近職場でよく聞く「異性だけでなく、同性であっても部下をお茶や食事に誘ってはならない」「タクシーや電車で横に並んで座ってはならない」「髪型や服装などプライベートのことに言及してはいけない」といったルールは、独り歩きする言葉に対する恐怖心が生み出したといえるのではないだろうか。
旧来のパワハラは、「言葉の通じない上司」によって行われるものだった。だが、今はそれに加えて「言葉の通じない部下」によって引き起こされる別の問題が起きているのである。