負の感情や人生の困難と、どのように向き合っていけばいいのでしょうか。心の持ち方や考え方を変えるコツを、「オネエ和尚」として有名な水無昭善さんが解説します。
※本稿は、『悩みが幸せの扉を開く』(PHP研究所)より内容を一部抜粋・編集したものです。
人は誰もが寂しいものよ。
それを知っていれば強くなれる
自由自由って楽しんでると思ったら、今度は急に不安になっちゃうの。「楽しいんだけど、なんだかむなしい」とか「お酒を飲んではしゃいでも心は空っぽ」とか。それはね、何でもかんでも手当たり次第に、手に入る時代だからよ。何事にも充実感を感じずに生きているからそういうことになるの。
本当に寂しさを消せるのって、無条件の愛だけなのよ。でも、無条件の愛情を注いでくれるのは親だけだわ。今の世の中、親の愛情も無条件ではないかもしれない。ちゃんと勉強するコがスキとかね、子供のことを親の自尊心を満たす道具としか思っていない人が多いから。
昔は確かにあった絆が、今の社会からは消えてしまったの。社会が変革を繰り返してきたのと同時に、人間性も変革を繰り返しているのよ。それが、今の時代に蔓延する醜さだわ。科学は発展し、便利で豪華な世の中になったけれど、人間の中身は末法末世よ。
人が寂しさと折り合いをつけるためには、「人は独りで生まれて独りで死んでいく」ということを知っておくこと。人は孤独な生き物なの。人は生まれついて苦しみを背負うの。
四苦八苦という言葉があるでしょ? 四苦とは、ただ生きているだけで味わう根源的な苦しみのことで、
生苦(生まれ、生きる苦しみ)
老苦(老いる苦しみ)
病苦(病気になる苦しみ)
死苦(死ぬ苦しみ)
を味わわなければならない。
そのうえに逃れられない精神的な苦しみとして、
愛別離苦(あいべつりく:愛する者と別れる苦しみ)
怨憎会苦(おんぞうえく:イヤなものと付き合わなければいけない苦しみ)
求不得苦(ぐふとっく:欲しいものが手に入らない苦しみ)
五蘊盛苦(ごおんじょうく:人間の心身を形成する5要素から起こる苦しみ)
を加えて八苦となるの。
だからこそ、人は悟りを開くために日々精進しなければならないのよ。それがわからずに自由だ自由だって、自分の権利ばかり主張しているから、おかしなことになるのよ。
人生の中で苦しみが8割。2割の幸せを得るために日々努力をするの。感謝する心を持つこと。それこそが、今の世の中に足りない仏教の教えだと私は思うわ。
私がそう言うと、「2割しか幸せがないんだったら、最初から頑張んないほうがいいじゃん」なんて考える人もいるわけよ。常に不安を持ってあくせくする必要なんかないんじゃないかってね。そうではないのよ。
仏教では、「良い加減」という言葉があるの。それは「バランスのとれた良い加減」のことを表す言葉なのよ。いい加減じゃないわよ。ほどほどにという言葉ね。その良い加減を保つことこそが大切なの。
例えば、相談に見えた方で、大卒で会社に入って営業部に配属された男の子がいたの。1年経っても、仕事ができず、契約の1本も取れない。みんな残業をしているのに、「今日は彼女と約束があるので先に帰ります」って言って、怒られたんですって。
でもね、その男の子、怒られた理由がわからないの。それで「会社の僕に対する評価が低い」って怒っているわけよ。「そんなことをしていたら、『仕事もできてないのに、女にうつつをぬかしやがって』と思われるってこともわからないの?」。私がそう言うと「それは、仕事ができるできないと関係がないでしょ」って言い返してくるわけ。こういうのを、「良い加減」がわかってないって言うのよ。
仕事ができないことを責めているわけではないのよ。遅咲きの人だっているわ。故意に人の仕事の邪魔をしているんじゃなければ、百歩譲って、1年目だったらまだ許容範囲かもしれない。でも、そこで残業している先輩や同期に「彼女と約束してるんで」って、なに、幸せアピールしちゃってんのよって話でしょ。会社に迷惑をかけているんだから、もう少しこそこそすんのが礼儀よ。それに、仕事もできない半人前の男が恋愛してるのなんて、仕事ができないって不満や不安から逃げてるだけだろってことよ。「夜はすごいんだぜ~」って、そんな男、絶対ダメよ。
何かから逃げるための恋愛じゃ、恋愛している充実感も感じることができないわ。
良い加減がわかってない。踏ん張りどころがわかってない。
音楽を奏でるように
自分の人生を生きなさい
人間って、因縁があるの。生まれついたときにすでに持っている因縁もある。だから、壮絶な人生を歩む人っているでしょ。なんで、そんなに次から次へと不幸が……っていうね。その人たちの先祖や土地の因縁というものはやっぱりあるの。それからは逃れられない。
でもね、それだって、「先生、なんで私たちばっかり~」と泣いて負のスパイラルに陥っていく人と、「もう大変よ~」なんて笑顔で語って押し切ってしまう人と2つのタイプに分かれるわけ。もちろん今は笑顔だけれど、そのとき、その瞬間は、泣いたでしょうし、わめいたでしょう。でも決着をつけて笑顔で語れるようになったということに意味があるのよ。
みんなね、「どうして私だけ」っていうのを言いだしたらキリがないのよ。せっかくイケメンと付き合ったのに、貧乏でドケチだったとかね(笑)。なんでも「どうして私だけこんな目に遭うの~」ってなっちゃうの。自分がイケメンってだけで飛びついて相手の本質を見極めようとしなかったことを棚に上げて「私って本当に運がないのよね」って嘆くの。
私はね、そういう独りよがりな人に対して「自分の人生のメロディーを感じてみなさい」って言うの。どういうことかっていうとね、自分の人生を音楽、つまり五線譜にたとえてみるわけ。それで、今まで自分が困難にぶち当たったときに何を励みに頑張ってきたのかとか、誰の言葉で乗り切ってきたのかとか、そういう自分の経験の中で培ってきたことを掘り起こしてみなさいっていうことなんだけどね。
例えば、私であれば、仏教を通じて縁ができた師匠であるとかそういうことを思い返してみるのよ。
つまり、答えは自分の中にあって、自分の奏でる音楽の中で、どういう風に困難を切り抜けていく方法があるかということなの。音楽ってクレッシェンドもあればデクレッシェンドもある。高音もあれば低音もある。速くリズムを刻むアップテンポもあれば、ゆっくりとメローなスローテンポもあるでしょ。それを人生に置き換えて、振り返ってみるわけ。そうすると、今起こっている問題に対して、どういう対処法があるのかが見えてくるの。
例えばすごい有名なスイーツ屋さんがあって、行列に並んでいたのに売り切れて買えなかったとする。となると、今食べられないという現実がまずあるわよね。その現実を踏まえて、そのときに、「私って可哀相でしょ」って泣きながら誰かに寄りかかるのか、「絶対に買ってやる」って次の朝まで1人で並び続けるか、はたまた友達まで呼んじゃって、楽しく並んでみんなで買って食べて帰るか、どの方法を選ぶのかは、自分の選ぶメロディー(経験)で決まるってことなのよ。
1つの現実を突き付けられたときに、じゃあどういう行動パターンを選ぶのかってことが大切なの。
死ぬまでに、どんな楽曲に仕上げるかは、自分次第なのよ。自分が窮地に追い詰められたときに、誰の言葉を選ぶかも自分次第。