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彬子女王殿下、英国留学前のご記憶「皇太子同妃両殿下(当時)からのお茶のお招き」

彬子女王

2024年06月22日 公開 2024年12月16日 更新

彬子女王殿下、英国留学前のご記憶「皇太子同妃両殿下(当時)からのお茶のお招き」

皇族は、海外旅行前に、「本来は古来皇室にとって特別なお社である伊勢の神宮に参拝するのが通例」で、彬子女王殿下は、長期の英国留学という大きな節目にさいし、「神宮と明治・大正・昭和天皇陵と皇后陵にそれぞれご報告のための参拝をさせていただいた」そうです。

学習院大学の学生時代、一度目の留学前には、天皇陛下(当時、皇太子殿下)が、「(オックスフォード大学マートン・コレッジでの)ご留学時のエピソードを、ユーモアを交えながら聞かせてくださった」とのこと。

また留学中は、父宮様の留学中の思い出話も、当時を知る英国の方にお聞きになられたようです。そうした彬子女王殿下のご体験をご紹介しましょう。

※本稿は、彬子女王著『赤と青のガウン』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「オックスフォードという場所はきっと素敵なところに違いない」という思い

初めての海外生活を目前に控え、不安でいっぱいだった19歳の夏。皇太子同妃両殿下(当時)が私を東宮御所にお茶にお招きくださった。

東宮御所でのお茶はもとより、私一人でうかがうことすら初めてのこと。何を着たらよいのか、何をお話ししようかと、お目にかかるまではとても緊張したことをよく覚えている。応接室に通されると、両殿下がにこやかなお顔で出迎えてくださった。

オックスフォードで学んでおられた両殿下。お二方のご留学時のエピソードを、ユーモアを交えながら聞かせてくださった。

とくに皇太子殿下は私が所属することに決まったマートン・コレッジの御出身。食堂での食事や洗濯の方法、図書館で本をどのように借りるか、ご自身はどの図書館がお好きだったかなど、懇切丁寧に教えてくださった。

たしか殿下のご留学時代のアルバムもみせていただいたように記憶している。最後には「必ずよい経験になるから楽しんでいらっしゃい」と送り出してくださった。

このときのお話のおかげで、漠然としていたオックスフォードのイメージがより現実的なものとなった。そして、両殿下がこれほど愛情をもって話されるオックスフォードという場所はきっと素敵なところに違いないと思えるようになったのである。

その日の夕食の席でのこと、父に「皇太子殿下が図書館の使い方などを教えてくださって......」と興奮しながら報告をした。すると、一瞬の沈黙をおいて父がひと言。「図書館なんてあったかな......」

その言葉に驚愕しすぎて、両殿下からいただいたアドバイスの話はそこで終わってしまった。

 

マートン・コレッジについて「事前にお話をうかがえたことは幸運な偶然だった」

あまり知られていないことであるが、日本の大学とオックスフォード大学では運営の体制が大きく異なる。オックスフォード大学のなかには40近くのコレッジ(学寮)と呼ばれる組織がある。

各コレッジは独自の予算で運営をするため、キャンパスが違うだけではなく、寮の充実度も食堂のおいしさも学力レベルまでも違う。

そして、毎年「ノリントン・テーブル」と呼ばれるコレッジの学力ランキングが発表されるため、各コレッジは優秀な教員・学生の確保に鎬を削る。つまり「オックスフォード大学」というのはコレッジや共有の図書館、レクチャーホール、実験施設などの入れ物のようなものである。

たとえていうならば、学習院、慶應、早稲田、青山学院......といった東京都内の大学をすべてひっくるめて「東京大学」というような感覚だろうか。

つまり、オックスフォード大学を卒業した人間にとっては、どのコレッジに所属したかということのほうが重要になる。だからこそ留学先が皇太子殿下と同じマートン・コレッジになり、事前にお話をうかがえたことは幸運な偶然だったのである。

授業の形態もオックスフォードと日本とは違う。所属コレッジに関係なく専攻の学生が集まる「レクチャー」、コレッジで行われる10人程度の「セミナー」、先生(チューター)と学生が1対数人(多くても3人まで)で個人指導される「チュートリアル」の3種類がある。

これらの授業はすべて、1年と3年の年度末(語学、理科系など4年制の科目は2年と4年)に行われる試験に向けてのものなので、いわゆる「出席点」や「平常点」での評価は存在しない。

毎回授業に出て、よいエッセイ(小論文)を書いていたとしても、試験の出来が悪かったらそれまで。進級できない人や卒業できない人も少なくない。

この情け容赦のない制度のため、オックスフォードの学生はものすごく勉強をする。そして試験前などは街全体にぴりぴりムードが漂うのである。

 

恐ろしいチュートリアル、終わりのない「論文地獄」......

幸いこの試験を乗り切る必要はなかった聴講生の私。しかし、授業はほかの学生と同じように受けなければならない。なかでもとくに恐ろしいのがチュートリアルだった。

毎週、小論文のタイトルと参考文献リストを渡され、翌週にそれに基づいた小論文を持参。それを先生の前で読み上げ、議論をするというものである。

日常会話ですらまだおぼつかなかった当時の私にとって、毎週のチュートリアルを乗り切ることがいかにたいへんなものであったかは、ご想像のとおりである。大教室でのレクチャーは、なんとなく座っていればお茶を濁すことができる。

でもチュートリアルは先生との会話が成立することが大前提。1対1の場合は、先生がこちらの反応を待ってくださったりもする。でもほかの学生と一緒の場合はそうはいかない。どんどん議論が進むなか、私は完全に放置されて、ひと言も発言できずに授業が終わってしまうこともあった。

この状況を改善するためには勉強をするしかないので、ほかの多くの学生と同じく学期中は図書館にこもりきりになった。ようやくエッセイを1本書き終わっても、来週までにはもう1本書かなければならない。

私は1週間に1本、毎学期8本のエッセイを書くだけでよかったが、同級生たちは毎学期10本とか12本をこなしていた。学期末になると心身ともに疲労困憊である。

始まる前は「1学期8週間なんて短いな」と思っていたが、この方式では肉体的にも精神的にも8週間が限界であるということを、身をもって知ったのだった。

この終わりのない「論文地獄」とでもいうべき状況を経験して、あらためて図書館の存在をご存じなかった父のことを思う。内容はどうあれ、2年ものあいだ、図書館なしでエッセイを書き、チュートリアルをこなされていたというのは、ある意味すごいことに違いない。

 

「娘としては反応が難しいコメントではあったけれど」......

そういえば、こんなことがあった。皇太子殿下のチューターでいらしたハイフィールド先生が、父のチューターだったストーリー先生の奥さまと私をお茶に招いてくださったときのこと。

お二人とも殿下と父の思い出話をいろいろ聞かせてくださったが、何かのきっかけで私が父の「図書館あったかな」発言の話を披露することとなった。

それをお聞きになったストーリー夫人が、「ヒロ(皇太子殿下)はよく勉強する学生だったけど、あなたのお父さんは勉強をしてはいなかったわね。でもトモさんはオックスフォードを心から楽しんだと思うわ」とおっしゃった。

娘としては反応が難しいコメントではあったけれど、方向性は違っても、お二人ともオックスフォードの「模範」学生でおられたということなのだろう。

1年の留学を終え、学習院大学に戻り、マートン・コレッジと学習院大学の単位互換制度を用いて日本の単位に振り替えてもらった。そこで初めて知らされたのが恐るべき事実。私の1年間のオックスフォードでの苦労が、たった4単位にしかならないというのである。

先ほども触れたように講義の出席は自己判断。授業に出ていたと証明できるのはチュートリアルだけ。それも、1回60分の授業を8週間×3学期受けたことにしかならないので、時間を計算すると約4単位だという。

学習院の先生も「内容的には8とか12単位くらいあげたいんだけどねぇ」と申し訳なさそうにいってくださったのだが、どうしようもないらしい。

3年生の1年間で4単位しか取れなかったので、学習院最後の1年間は、卒業に必要な単位を取るのに必死。同級生たちが週に一度くらいしか大学に来ないところ、毎日のように大学に行く羽目になった。

いわば3年間で全部の単位を取って卒業したようなものなので、われながらよく頑張ったものだと思っている。

 

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