「叱る」ことが難しい時代になりました。昭和期、日本企業と日本人社員が大きく成長発展を遂げてきたその要素の一つでもあったこの部下指導法は、近年では、どちらかといえば、避けるべき指導法になっているのが現実でしょう。
それでも、「叱る」必要がある場合もあるはずです。そのときに、上司には何が必要なのか。そして、そうした育成の結果、成長した素晴らしい人材がさらに経営を担っていくには、どのような考え方が必要なのか。大きなヒントを与えてくれる稲盛氏の講話をご紹介しましょう。
※本記事は、稲盛和夫[述]・稲盛ライブラリー[編]『誰にも負けない努力 仕事を伸ばすリーダーシップ』(PHP文庫)収録内容<2008年1月・京セラ社内報『敬天愛人』巻頭言の一部>と<1993年1月13日京セラ経営方針発表会での講話の一部>を抜粋・編集したものです。
社員を指導し、叱るうえで、上司には何が必要なのか
人材育成にあたって、最も大切なのは部下への愛情です。いくら教育理論を学び、それに従い、部下を指導しようとしても、愛情がなければ、人材が育つことはありえません。
逆に「立派に成長してほしい」という愛情や思いやりの心さえあれば、たとえ指導が多少下手でも、部下が納得するまで徹底的に教えるでしょうし、そのような上司の気持ちを部下も必ず分かってくれ、成長していくはずです。
私は京セラ創業以来、そのような愛情を持って部下指導にあたり、まずは「人間としていかにあるべきか」ということについて、自分の考えを話していきました。「仕事とはどうあるべきか、人生とはいかにあるべきか」ということについて、コンパなど機会を見つけては、一生懸命説いていったのです。
一方、部下に問題があると思えば、仕事中であろうと、人前であろうと、「君のここがダメだ!」と、その場で大声で叱りました。「部下を立派な人間にしてあげたい」と本気で思っていたので、いい加減な態度や間違いを見つけたときに、その場は見逃し、あとで別室に呼び出して諭すなどということは、とてもできなかったのです。
ビジネス書では、部下を注意するときには、本人を傷つけないよう、「人前で厳しく叱ってはいけない」と書かれているといいます。また昨今では「叱る」という言葉自体が禁句になり、部下を叱る厳しい上司は部下から離反され、組織の中で浮いてしまうと聞きます。
そんなことを恐れて、妥協したり、逡巡したりする上司であってはなりません。部下を叱らない上司は、「優しい上司」として一時的に好まれても、長い目で見れば、そうした無責任な上司は、決して真の信頼を部下から得られることはないでしょう。
もちろん、褒めて教えることもときに必要ですが、叱って教えるほうがよほど身にしみて理解できるはずです。部下にしても、本当に優秀な人間であれば、愛情を持って厳しく叱る上司を、最後には必ず受け入れてくれるものです。
素晴らしいリーダーの育成にあたって、経営者が心得ておくべきこと
高収益を上げられる強靭な体力を備えた企業体にしていくには、やはり何といいましても「立派な経営者の育成」が必要です。
設備も人員も製品もまったく変わらないのに、リーダーを代えただけで、その部門の業績が見違えるように変わったという経験をされた方はたくさんおられると思います。リーダーが代わっただけでかくも変わるものか、と思うくらいの業績が変わるという例を、我々は幾多も見ています。
そういう意味では、京セラだけでなく、この低成長・ゼロ成長の時代に入った日本経済においては、本当に優秀で、素晴らしい、真の経営者を見つけ出すことが企業経営にとって必須条件だろうと思います。
今までは誰が経営しても、たとえ大したことのない人が年功序列によって社長になるようなことがあっても、経営はうまくいきました。経済自体が大きく成長していく中では安易な経営でも十分やれましたが、いよいよこの経済環境において、真の経営者が要求される時代がやってきました。
今年は経営者の、つまりリーダーの交代ということがたいへん大切になるだろうと思っています。それでは、素晴らしいリーダーとはどういうリーダーなのか。私自身も考えていますが、ひと言では言えません。
ただ、漠然と考えられるのは、たいへん仕事熱心で、真面目で、そして自主性があり、利己的な心が少なくて、責任感が強く、研究熱心で常に工夫をする人、同時に公明正大な心を持っている人、また、現在の仕事やその仕事の将来に対して自信を持っている人、言葉を換えれば確信を持っている人、「こうすればこうなり、こうなってああなっていくのだ」と自分の事業なり仕事の先が見えている、「いつの何日にはこの事業はこのような状態になる」と明確な像なり姿を描いている人、明るくて運のいい人。
いっぱい挙げましたが、今言ったようなことを少しずつでも、すべて持っているような人が素晴らしいリーダーではないかと思えるわけです。
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やらせてみる、そうして潜在的な才能が開花し、見えてくる