常に新しい場所を訪れたいと考える人が多いことから、リピーター獲得が難しいといわれる宿泊業界。そんな業界にあって、リピーターが全宿泊客の5割以上を占めるのが伊豆稲取温泉「食べるお宿 浜の湯」です。社長の鈴木良成さんによれば、リピーター獲得のために続けている「3つの工夫」があるそうです。
定期的な増築・改装をするワケ
旅館のお客様は新規客とリピーターに分けることができます。新規客に「また来たい」と思っていただくことでリピーターは増えていきますが、私が経営する「浜の湯」もリピーターのお客様に支えられて成長してきました。
1995年の大規模なリニューアル以降も毎年、様々な改革を続けてきたのは、宿泊のたびに喜んでくださるお客様とのコミュニケーションが、私自身の喜びにもなっているから。そして、多くの従業員にも同じ思いを感じてほしいからです。
旅館の施設、料理、サービスすべてがリピートにつながります。この約30年間、4〜6年ごとに3〜8億規模の大規模な増築や改築を行い、融資に頼らない小規模な設備投資については毎年行ってきた理由も、1つはリピーターのためです。浜の湯のように50室以上の宿では、色々な好みの方が選べる様々な部屋タイプがなければ飽きられてしまい、稼働率も上がりません。
また、料金体系も3万円前後から8万円以上と幅広く設定して、ある価格帯に部屋数が偏らないようにしています。なぜなら最初に3万円台のお部屋に泊まってくださった30代のお客様がリピーターになってくださっても、いきなり5万円台のお部屋を選ばれる可能性は少ないでしょう。収入が上がるまでには数年かかりますが、その間、すべて違う部屋に泊まることができれば、毎回新鮮な気持ちで泊まっていただくことができます。
もう1つの理由は旅館業全体の課題でもある人口減少です。これまではある年代にターゲットを絞って勝負することも可能でしたが、これからはいかに幅広いお客様に受け入れていただけるかを考えていかなければいけない。リニューアルは20代の方にも素敵だと思っていただける部屋作りの一環でもあるのです。
実際、「浜の湯を知ってから5年越しでようやく泊まりにくることができた」という20代のお客様が来てくださった時は、「こういう方を大事にしていかなければ」と思いを新たにしました。
料理の質向上のために敢えてしなかったこと
浜の湯では以前から行ってきた部屋出しに加え、夕食の部屋出しの際、お客様のお食事のペースに合わせて、温かいものは温かいまま提供する一品出しに変えたのです。そのためには仲居の人数を増やすと同時に接客スキルを上げる必要があり、決して短期間ではできないことでしたが、段階的に行っていきました。
また、浜の湯名物・金目鯛姿煮と舟盛り以外の献立は、季節に合わせて2カ月ごとに変えています。リピーターの中には毎月宿泊されるお客様もいらっしゃるので、その場合は異なる料理が楽しめるように特別にメニューを変更します。さらに毎年、新しい料理プランを出すなど、リピーターが料理の面でも飽きることなく楽しんでいただけるように工夫を続けています。
距離の近い接客の生み出し方
施設の造りや客室数はもちろんですが、旅館とホテルとの一番大きな違いはお客様とスタッフとの「心の距離感」です。
浜の湯では仲居による完全担当制を採用しており、チェックイン時のお出迎えからお部屋へのご案内、夕食、朝食の部屋出し、チェックアウト時のお見送りまで同じ仲居が担当します。特に夕食は10品程度をお出ししますが、1品ずつタイミングを見ながら2時間ほどかけて提供するため、多くの接点が生まれます。この接点の一つひとつがお客様を知る貴重な機会になるのです。
そこで得た情報を元に、このお客様はどんなサービスを求めているか、どのようなお声がけをするべきかを仲居一人ひとりの個性や感性を活かして実行していきます。こうした接客にマニュアルは通用しないので、私は「お客様のためにひらめいたことは何でも実行するように」と伝えています。仲居は「さらに世話を焼きたい、喜んでいただきたい」という思いを表現することでお客様との距離を縮めていくのです。
一方でこうした旅館の接客はおせっかいにもなりかねませんが、多少おせっかいになったとしても、そのほうが良いというのが私の考えです。人というのは放っておかれるよりも構ってほしいものですし、やはり旅館だからこそお客様に寄り添えると思うからです。そして、お客様にはホテルとの違いに価値を感じていただきたいという思いもあります。そういう意味で、浜の湯のライバルはホテルだと思っています。お客様と心でつながることができる旅館本来の接客もリピーターを獲得する大きな原動力です。
”顧客カルテ”によるサービスの質向上
新規のお客様と違い、リピーターのお客様には前回ご利用の際に知り得た顧客情報がありますから、それを活かさない手はありません。顧客情報というと、年代や家族構成、趣味、アレルギー、喫煙などを項目として設定している旅館やホテルが多いですが、私はそうした項目では記入できない情報こそ重要だと考えています。
浜の湯の顧客カルテは担当する仲居による自由記述です。あるカルテには料理を召し上がるペース、奥様は左利きだった、どんな会話を交わしたかなどが記入されていました。そして、お客様が次に来てくださった時に情報を活かして、お箸を左利き用にセットしたり、食事を提供するペースを参考にしたりするなどして、サービスの質を高めることができます。どんな情報を記録するかに仲居の個性が表れ、その情報がさらに個性を活かした接客へとつながっていくのです。
顧客カルテについては、導入した時からそのデータ管理も行なっています。以前、子どもの頃にご両親と浜の湯に泊まられたというお客様が、ご自分の奥様やお子様と宿泊してくださいました。そこで、予約された方のお名前などをお聞きして過去の情報を引っ張り出すと、当時、お父様と交わした会話などが残っており、それをお伝えしたところ大変喜んでいただきました。
このようにリピーターがいるからこそ顧客カルテが活用できますし、顧客カルテの情報を活用したサービスによってお客様に小さな喜びや驚きを与えることができます。それが大きな感動となり、リピートにつながっていく。やはり継続していくということが大事なのだと感じています。
”おもてなしの神髄”は変わらない感動と新たな感動の2つの感動にある
私は旅館というのは単なる宿泊施設の形態ではなく、長く親しまれてきた日本独自の伝統文化の一部だと考えています。お客様が到着したお出迎えから、出発のお見送りまでを同じ仲居が担当し、夕食、朝食ともに部屋で提供するのも、旅館ならではの接客手法です。実際、外国人観光客の方も「日本文化を体感したくて訪れている」と口を揃えておっしゃいます。
そして、この旅館特有のおもてなしにこだわり、お客様一人ひとりに合わせたきめ細やかな対応によって、いつ訪れてもすばらしい接客を受けられるという安心感から生まれる「変わらない感動」を提供し続けたいと考えています。
一方で施設のリニューアルやメニューの変更などをこまめに続けているのは、訪れるたびに今までとは違う新鮮さを感じていただくことで、「新たな感動」を提供したいからです。
「変わらない感動」「新たな感動」の融合こそ浜の湯のおもてなしの神髄であり、リピーターのお客様の「また来たい」という思いを生んでいるのです。