岸田劉生《麗子肖像 (麗子五歳之像)》(1918) photo by Maculosae tegmine lyncis,Wikimedia Commons
岸田劉生の《麗子肖像》は教科書にも掲載されるほど有名な作品です。一見すると薄暗い絵画ですが、なぜ高く評価されているのでしょうか? 書籍『東京藝大で教わる西洋美術の謎とき』(世界文化社)の著者である、東京藝術大学美術学部教授の佐藤直樹さんにお話を聞きました。
西洋美術と格闘した日本人
――書籍『東京藝大で教わる西洋美術の謎とき』では、岸田劉生の写実性の高さについて触れられていましたが、彼の作品の凄みについて教えてください。
岸田劉生は、初めはルノワールやゴッホに心酔していましたが、ある時、雑誌に掲載された複製写真図版でアルブレヒト・デューラーやヤン・ファン・エイクといった北方ルネサンスの画家の作品を目の当たりにして衝撃を受けました。それらは、岸田がこれまで目にすることがなかった西洋の古典絵画でした。
その後、岸田は時代を逆行するような古典絵画の技法を取り入れようと試みます。印象派を高く評価する当時の日本の風潮に、古いスタイルで描くことで一石を投じようとしたのです。彼は時代に逆らうアナクロな、いわば古絵画による美術革命を起こしたかったわけですね。
当時の日本にも西洋で油絵を学んだ画家はたくさんいました。例えば日本画家の下村観山も、イギリスでラファエッロの模写をするなど、アカデミックな西洋美術を学ぶことで日本画を変革しようと試みた一人です。
ただ劉生は一度も外国に行く機会がなかったので、現物から学べたわけではありませんでした。白黒の複製写真を穴が開くほど見つめて、少しでも西洋の古典画に近づこうと研究したのです。複製写真を通してでしか知り得なかった「理想の西洋」を自分の中で熟成させて表現したことが、彼の作品の醍醐味ではないでしょうか。
麗子像はなぜ高く評価されているのか?
――有名な《麗子肖像》を初めて見た時、正直、薄暗い雰囲気で不気味な印象を受けたのですが...。
たしかに私も一番最初に見た時、薄暗くて、泥臭い印象を受けました。自分のかわいい子どもをどうしてあんな風に気持ち悪く描くのか、たぶん麗子本人も嫌だったろうと想像します。
ただ同時に、あの絵には惹きつけられる何かがありますね。暗いんだけど、忘れられない。印象に残る力強さというか執念のようなものがありますよね。
やはり、絵画が描かれた背景を知ると、絵の見え方が変わります。それも美術史の面白いところです。
先ほどもお話しましたが、「麗子像」には日本人が、これまで未知だった画材、油絵具と格闘している様が表れているのです。劉生が一生懸命に画材と奮闘していたことを感じとることで、このような陰鬱な少女像が評価されてきたことが理解できるようになります。
――作品の制作背景を知ることで、見え方もがらっと変わりますね。
専門家でも自分が研究していない時代の作品は、何を評価したらいいのかよくわからないことが多いんです。
私はこれまでロココ時代の作品があまり好きではなく、よくわかりませんでした。フランス発祥の18世紀の華やかな貴族文化で、夢のような世界はあまりにも嘘くさく、どの絵も個性に乏しく似たような作品にしか見えませんでした。
しかし、たまたま自分の研究の延長線上で、イギリス18世紀の画家のトマス・ゲイズバラの作品研究を読む機会があったことで、ゲインズバラの作風はロココからスタートしていて、ロココの特徴のひとつである「くつろぎの世界」が表現されていることに気づくことができました。
そこに、英国が常に手本としていたオランダ17世紀の肖像画の衣装が組み合わされて、《青衣の少年(ブルー・ボーイ)》に見られるように英国の肖像画のスタイルが確立したことがわかったのです。ロココ美術の英国への導入がなかったら英国で最も人気のある肖像画というジャンルは発展しなかったに違いありません。
自分に興味がなかった時代の作品でも、ほんの少しのきっかけで、作品制作の背景が分かってくると、次第に良い作品だと思えるようになるものです。最近は、これまで嫌いだったロココの作品にとりわけ注目するようになりました。
自分の好きな作品から広がっていくことで、好きじゃないものが急に自分に向かって迫ってくる感覚に襲われることがあります。そうした新しい発見は嬉しい驚きで、美術の世界が広がってもっと面白くなりますね。そのためには、どれだけ作品を見て、記憶しているかが大きいと思います。好きな作品をひとつひとつ増えていくことで、美術を見ることがますます楽しくなるのです。
(取材・文/小林実央[PHPオンライン編集部])