作家・皆川博子さん「書くことは、生きていると感じられること」
2025年01月24日 公開
幼い頃から本を愛しつづけてきたという、作家の皆川博子さん。40歳で児童文学作家としてデビュー、その後は大人向けの小説へとその活躍の場を広げてこられました。皆川さんの作家としての半生について、お話を聞きました。(取材・文:鈴木裕子)
※本稿は、月刊誌『PHP』2024年1月号より、一部編集・抜粋したものです。
自分が一番「生きている」と感じられること
「作家」という肩書きがつくようになって50年余りになりますが、自分としては作家という意識があまりないのです。好きなことを好きなようにやっていて、それが幸い、いい編集の方がついてくださり、本に仕上げてくださった。だから、ほかに言いようがなくて作家と言っていますけど、書くことは私にとって仕事というよりも、自分が一番「生きている」と感じられることなんです。
気づけば、身のまわりには本がたくさんありました。といっても、私が幼少のころは子供向けの本はそれほど多くなく、家にあったのも大人の本ばかりでしたけれど。
小学校低学年のときによく読んでいたのは、「世界大衆文学全集」や日本の作品を集めた「現代大衆文学全集」。「世界大衆文学全集」は、エドガー・アラン・ポーやアレクサンドル・デュマ・ペール、ヴィクトル・ユーゴーなどの作品も収められていて、デュマの『三銃士』やユーゴーの『九十三年』なども、抄訳ではなく大人が読むものをそのまま読んでおりました。
「現代大衆文学全集」には、吉川英治や国枝史郎、江戸川乱歩など、親に「読んではいけません」と言われるような悪い本もありました(笑)。それらを親の目を盗んで読むうち、物語のおもしろさにすっかり取り憑かれてしまったのです。
ところが、10代に入ると太平洋戦争がひどくなり、疎開した先に本などありません。戦争が終わって東京に帰ってきたら、見渡すかぎり焼け野原。出版社も印刷所も焼けてしまって、本がないどころか、本を刷る紙もない状態でした。ですから、本を読みたくてもなかなか新しいものが出版されない。焼け残った古本を探しては手に入れて読んでいました。
デビューは40歳を過ぎてから、児童文学作家として
その後、女学校、女子大と進んだ後、結婚して娘ができ、普通の家庭の主婦になりました。女性の生き方として、それが「普通」の時代だったんですね。でも、私はその「普通の主婦」という枠がとても窮屈で、半分死んでいるような心持ちでした。
そんな中でいつも本を読んでいて、そのうち自分でも物語を書くように。34歳のとき、講談社が児童文学賞を募集するという記事に目がとまり、作品を一つ書いて送ってみました。最終選考には残ったものの、結果は佳作。自分には才能がないのだと思い知ったわけですが、それでもぼちぼちと児童向けの作品を書いていました。
娘が高校2年生のとき、交換留学で1年間オーストラリアに行くことになりました。娘が家にいないのはさびしかったのですが、その反面、「母親」「主婦」という枠が外れ、心が解き放たれたように感じたことを今でもよく覚えています。
そこから堰を切ったようにいろいろ書けてしまいまして、42歳のときに『海と十字架』で児童文学作家としてデビューしました。
同じ年に江戸川乱歩賞に応募し、賞は逃したのですが、出版社の目にとまり「大人の小説を書いたらどうか」と言われたんです。大人の小説なんて自分にはとても書けないからとお断りしたのですが、とにかく一作書いてみるようにと言われて小説現代新人賞に応募しました。
案の定、最終候補止まり。やはり自分は子供向けの作品を書いていこうと思っていると、編集の方が「もう一度」と言うのです。では、これが最後と思って書いた『アルカディアの夏』で第20回小説現代新人賞をいただき、今に至ります。
押しつけられた常識に反発する
思い返すと、弱い立場の人の視線から書いている作品が多いかもしれません。
そのことをはっきり自覚したのは、壬申の乱前後を少年たちの目から描いた『炎のように鳥のように』(1982年)がきっかけでした。
壬申の乱というと、悲劇の王子として大津皇子が一番人気だと思うのですが、私は、一般的にはダメだと言われている草壁皇子のほうに気持ちが入るのです。大津皇子がとてもしっかりした強い少年であるのに対して、草壁皇子はやさしくて気が弱く、自分の意見をなかなか主張できない。私としてはそんな草壁皇子に、どうしても肩入れしてしまって。
皇子たちが逃れた吉野山には、狩りをしながら生きる少年たちがいます。彼らはさらに弱い存在で、だからこそ踏みにじられる者たちの気持ちがわかる。強い者には見えないもの、見落としているものが、弱い者には見えるのではないか。そう思いながら書いていました。
強き者より弱き者のほうに心を寄せてしまうのは、やはり私自身が「窮屈な枠から解き放たれたい」という思いを強く持っているからでしょう。
私が育ったころは、子供が親に口ごたえするのはいけないことで、特に「女の子はおとなしく引っ込んでいなさい」という時代でした。戦後、社会は手のひらを返すように民主主義に一応は変わりましたが、大人たちも民主主義が何か全然わかっていない。「男女同権」も言葉だけで、女性は相変わらず社会的に弱い立場のままでした。
今はどうなのでしょう。性別が足枷になることなく生きられることも増えましたが、まだまだという現実もあるように見えます。上の人たちは「女性も活躍を」などと言いますが、都合のいい労働力にされている部分もあるのではないでしょうか。
幼いころからずっと「普通」の常識を押しつけられたり、女性が弱い立場に置かれていたりすることに、日常生活ではなかなか反発できないので、私はそれを作品の中で押しのけてきました。私は人間の「狂気」をよく書きますが、そうした反発が、時に「狂気」という形であらわれてくるのです。
物語の中ではどこまでも自由に
最新作の小説『風配図 WIND ROSE』も、弱い立場の人間の視点で書きました。舞台は12世紀のヨーロッパ、北ドイツを中心とする都市同盟「ハンザ」の黎明期。交易拠点であるバルト海のゴットランド島に暮らす15歳の少女ヘルガに降りかかる苦難や人々の思惑、家父長制の軛や政争などを、彼女を慕う義理の妹やロシアの富商に仕える完全奴隷(ホロープ)の目を通して描いています。
私がハンザという言葉を知ったのは、10代のころ読んだアルチュール・ランボーの詩がきっかけです。小林秀雄が訳した「酩酊船」という詩に出てきて、意味もわからないままに「ハンザの帆走船」という言葉の響きが印象的でした。その『ランボオ詩集』は、戦後何もない中でようやく新たに刊行された一冊で、ずっと手放さずにいたのです。
数年前、ハンザに関する研究書が日本語で立てつづけに出版されて、貪るように読むうちにハンザを素材にした話を書きたくなり、この本ができあがりました。
一般的には、気持ちよく読み終えられる物語が好まれるようです。でも、それではあまりに安易ではないかと、私はむしろ物語をハッピーエンドにはしてきませんでした。たとえば、追い詰められた主人公が精神的に病んでしまったり、自死を選んだりすることも。
けれど最近は、そういう結末もまた安易ではないか、苦しい境遇にあっても生き抜いていく、マイナスからプラスに変えるところまで書かなければならないのではないか、と思うようになりました。
『風配図』でも、当初、ヘルガは早い段階で亡くなる予定だったのですが、生き残り、物語を最後まで引っぱっていってくれます。
話の骨格は史実に基づいていますが、ヘルガをはじめ登場人物の多くは架空の存在。戯曲形式や詩歌の引用なども交えて、自由に書かせてもらいました。だからこそ書けるものがあると思っています。
歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥も、「調べて本当のことを書くのは作者の義務だが、そこに大嘘を混ぜるのは作者の特権だ」と言っています。歴史として語られるのは大きな事件、そして強い人たち。大きな事件の影に隠れた出来事や、強き者に押しつぶされてしまった弱者の声は伝わりません。そこを私は書いていきたい。
今は『風配図』の続編の執筆に没頭しています。これからも力の続くかぎり、「大嘘」をつきつづけていきたいです。
【皆川博子(みながわ・ひろこ)】
1930年生まれ。72年、『海と十字架』で作家デビュー。ミステリ、歴史小説、幻想文学など、幅広いジャンルで執筆を続ける。直木賞、吉川英治文学賞など受賞多数。2022年には『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』(早川書房)で毎日芸術賞を、24年には『風配図 WIND ROSE』(河出書房新社)で紫式部文学賞を受賞。『ジンタルス RED AMBER 風配図Ⅱ』を「文藝」で連載中。
![月刊PHP 2024年 1月号 [悔いのない生き方]](/userfiles/images/book2/B0CN9QVCCZ.jpg)






