マシンガンズが選んだ「辞めない生き方」 何も手に入らなくても芸人を続けた理由とは
2025年02月13日 公開
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「MAXめんどくせえ」のキメ台詞で、『エンタの神様』など00年代に流行ったネタ番組で人気を集めたマシンガンズ。しかし、ショートネタブームの終わりとともにテレビで見ることも減っていき、それから15年ほどの低迷期を味わったといいます。
2023年に初めて開催された、芸歴16年以上であることが条件のお笑い賞レース『THE SECOND~漫才トーナメント~』で準優勝すると再び脚光を浴びることに。マシンガンズが新たに刊行した著書『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)では、浮き沈みのあった芸人人生が赤裸々に語られています。
そんなお二人に、"仕事が減っていったあの頃"について振り返っていただきました。
「一昔前のお笑い」というレッテル
――2010年くらいにショートネタブームが徐々に終わって、それから15年ほどお仕事が減ってしまったそうですね。芸人を辞めなかった理由はあるのでしょうか?
【滝沢】やめる方が勇気がいりますよ。何も形にならずに売れなかったとしても15年もやってきたんだから、次にもっと良い状況が見込めないと辞められないですよね。
僕らも積み上げてきたものが完全にゼロだったわけじゃないんですよ。もし本当にゼロだったら、たぶん辞められたと思うんです。でも、ショートネタブームの時に少しはいい思いもしていて...。
ちょっとでもモテたりとか、お金をもらえたりすると「まだいけるんじゃないか」って思っちゃうんですよね。もうその頃になるとお笑いが好きでもなかったんですが(笑)。
――年齢を重ねていく中で、焦燥感みたいなものは生まれてこなかったんですか?
【滝沢】やっぱりお金の面ですかね。特に僕の場合は、奥さんが6つ上で子どものことも考えると、「この先どのくらいお金が必要か」とか「残された時間はこのくらいだな」とか、そういう焦りはありましたね。
そうこうしているうちに、子どもが生まれてお金を稼がないといけなくなりました。僕の場合は、たまたまゴミ清掃員の仕事が見つかって。これがなかったら、たぶん芸人辞めてたかもしれないです。本当に35歳を超えると、仕事が見つかんなくなったんですよ。
――先ほど「お笑いがあまり好きでなくなった」とおっしゃっていましたが、これまでのモチベーションの変化についてお聞かせください。
【滝沢】ブームが終わった頃から、やっぱり変わりましたよね。若手発掘オーディションの話とか来ても、どう考えても僕らは若手じゃないから受かるような話じゃないんですよ(笑)。
スタッフから「マシンガンズさんに来てもらえませんか」みたいなこと言われても、どうせ落ちるんですよ。もうネタの面白さじゃなくて、単に僕らが前の世代だから「お前らは出さない」っていう意思表示ですよね。
ベストを尽くしても何も手に入らなかった
――その間、どれくらい全力でやってこられたんですか...?年を重ねていくにつれ、全力の出し方やモチベーションの持ち方は変わりましたか?
【滝沢】ライブで滑りたくないっていう気持ちはずっとありましたけど...。
僕なんかはゴミ清掃員の仕事を掛け持ちしていたので、物理的に時間がなくて、ネタ合わせする暇もない。だから「お互い3個ネタ持って出よう」って感じで、もうアドリブ。西堀が何喋るかも分からないし(笑)。でも意外とそれが、『THE SECOND』の3本目でいい評価もらえたりして。
【西堀】個人的には、ずっと同じフォームで投げてるつもりなんですけど。見られ方が変わってきてるんじゃないですかね?20歳の頃と同じことをやっても、どうしても余裕に見えちゃいますよね。能力なら若い時の方が瞬発力があったし...むしろダウンしてるんじゃないかって(笑)。
「年取って味が出てくる」なんて演者が勝手に言っているだけですよ。ある程度の年齢からはやっぱり下がっていくんじゃないですかね。
「この年齢だからこうしよう」なんて考えたことないですけど、そのときのベストは出そうとしてます。周りから見たら、それはそれで波があるのかもしれませんけど。
【滝沢】僕ら『THE SECOND』のない人生を想定してたんで(笑)。たまたま『THE SECOND』がやってきただけなんですよ。本にも書いてありますけど、マネージャーが勝手に応募したら最後まで進んじゃって。ただ辞めなかったことがこの結果につながったんじゃないでしょうか。
――逆に、高みを目指した時期もあったのでしょうか?
【滝沢】どんどん消去法で「これができない」「あれができない」って消えていくんですよ。ものまねだって100%でやったつもりでも、何も手に入らなかった。結局何も残ってないんですよ(笑)。
――30代、40代の若手と言われなくなった人たちが悩むのもそこかもしれません。自分にできることが何も残らない不安とか...
【滝沢】大木って公園や至る所に生えているじゃないですか。でも、神社にあればそれは御神木として重宝されますよね。つまり環境が変われば状況が変わることもあると思うんですよ。
【西堀】でもその変化を起こすのは自分たちじゃないと思っていました(笑)。
【滝沢】仕事がなかった15年間、全くウケなかったわけではないんですよ。若手芸人を目当てにしたお客さんが多いステージだと「マシンガンズ」って名前を呼ばれるだけでスベることもありましたけど、僕らと同世代のお客さんが多い営業の現場ではウケたりするんですよ。
だから今つらくて悩んでる人は、その環境が合っていないだけかもしんないと思います。
【西堀】あと、みんな必ず輝かないとダメなんですかねぇ。もっと自分の力が発揮できるはずだって言う人もいますけど、なんか偉そうだなって思っています。
売れてなくても「解散しなかった理由」
――多くの人は他の人と比べて上か下かを考えてしまうのではないでしょうか。
【西堀】それは僕らにだってありました。お笑いって一番残酷に順番が付きますからね...。オードリーも同期みたいなもんですから。
みんな「自分がなぜ上手くいかないんだろう」って考えてますよね。でも考えてもしょうがないから、考えなくなるんですよ。
僕の場合は、芸人をやめなかったんじゃなくて、辞めたくなかったんです。芸人じゃなくなったら、もう空っぽですもん。稼ぐ方法は別になんでも良くて。芸人という生き方を選んでしまったからには辞めたくなかった。
でもまあ、何事もシリアスに捉えたことはなかったんですよ。滝沢は副業を頑張っていましたけど、僕は暇な時間で発明コンテストに応募したりして。やっぱり努力が得意じゃないというか...。
「芸人を辞めない」という気持ちだけは滝沢と一緒だったから解散には至らなかったんじゃないでしょうか。
【滝沢】仕事にはやっぱり共通の目的が必要で、例えばM-1に出るってなったら、そのためにネタを作ったりする。でも目標がないと、何のために作るのかもわからなくなる。
【西堀】人参がぶら下がってないと走れないんですよね(笑)。
僕たちの最初のライブは会場が揺れるほどウケて、マジで天才だと思ってました(笑)。このまま売れちゃうんじゃないかなって。
【滝沢】その時もトーナメント制で3本目のネタがなかったんです。やってること同じなんですよ。感性とか怠け者具合とか、努力の仕方とか、何も変わってない。本質はずっと変わらないんです。
【マシンガンズ】
西堀亮(にしほり・りょう)
1974年10月4日生まれ、北海道出身
滝沢秀一(たきざわ・しゅういち)
1976年9月14日生まれ、東京都出身
1998年にコンビを結成。10年目を迎える頃に『爆笑レッドカーペット』『エンタの神様』などの出演をきっかけにブレイク。2007年、2008年は2年連続で『M-1グランプリ』準決勝に進出した。2012年、2014年には『THE MANZAI』認定漫才師となる。滝沢は2012年にゴミ収集会社に就職。2018年の『このゴミは収集できません〜ゴミ清掃員が見たあり得ない光景~』など関連著書が多数あり、ゴミの専門家として数々のテレビ番組や講演会などで活躍。西堀は2020年に「身近なヒント発明展」で優良賞を獲得。考案した「靴丸洗い洗濯ネット」が2023年に商品化を果たす。2023年5月の『THE SECOND~漫才トーナメント~』で準優勝し、再び脚光を浴びた。太田プロダクション所属。