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認知症で判断力を失ったときも有効...生前に効力を発揮する遺言「家族信託」とは

杉谷範子(司法書士法人ソレイユ代表)

2025年03月18日 公開

認知症で判断力を失ったときも有効...生前に効力を発揮する遺言「家族信託」とは

突然、親が認知症になっても慌てず正しく対処するにはどうすればよいか?

「家族信託」という新しい仕組みを有効活用すれば、「次の次」の相続まで決めることができる。司法書士法人ソレイユ代表・杉谷範子さんの著書『親が認知症になると「親の介護に親の財産が使えない」って本当ですか?』より、その詳細を紹介していきます。

※本稿は、杉谷範子著『親が認知症になると「親の介護に親の財産が使えない」って本当ですか?』(大和出版)を一部抜粋・編集したものです。

 

元気なうちに親族を選べる「任意後見契約」

前稿では、認知症などで意思確認のできなくなった人の財産がどうなるかをお話ししました。あらためて整理すると、財産の凍結には次の二段階があります。

 

〈第一段階〉 判断能力がなくなると、銀行預金や不動産などの財産が凍結されてしまい、配偶者や子などの親族がその手続きを代理することはできない。

〈第二段階〉 法定後見人を立てれば、凍結は解除される。しかし裁判所は弁護士や司法書士などの専門家を後見人に選ぶケースが大半。親族が財産管理を行うことは難しい。運よく家族が後見人になれたとしても、家族のために財産を使うことはできない。

 

したがって、重い認知症になってからでは、財産の凍結を避けることはできません。そこでここからは、判断能力のなくなる前――「第一段階」以前に講じておくべき対策について説明していきます。

前稿で紹介した成年後見制度には、「法定後見人」と「任意後見人」の二種類があります。

法定後見人は本人が重度の認知症など、〈第一段階〉になってから、親族などが裁判所に申し立てて選んでもらうもの。

それに対して、任意後見人〈第一段階〉を迎える前、つまりまだ本人が意思を伝えられるうちに、自ら選んでおくものです。

赤の他人である専門家が法定後見人に選ばれるのは、親族による「使い込み」などから財産を守らなければいけないためでした。要は、裁判所が親族を信用していないわけです。

しかし任意後見人は、本人が元気なうちに決めておく(「任意後見契約」を結ぶ)のですから、裁判所に口をはさまれることなく、自分の親族を後見人にすることができます。

ただし、任意後見契約は本人の判断能力が落ちた後でなければ発効しません。

たとえば長男を代理人として選んでいても、本人が元気なうちは、長男に個別の契約行為などを代行させることしかできないのです。

 

「任意代理契約」と「任意後見契約」をセットで身内と締結

そこで知っておいていただきたいのは、「任意代理契約」のことです。

呼び名は任意後見契約と似ていますが、こちらは元気なうちから発効するもので、契約さえすれば、長男や長女など自分で決めた「受任者」に包括的に代理権を与えることができます。

この任意代理契約と任意後見契約をセットで身内と締結しておけば、認知症になる「前」と「後」をスムーズにつなぐことができるでしょう。契約内容は、公証役場で公正証書(公証人が作成する権利・義務・事実などを証明する書類)にします。

「委任契約及び任意後見公正証書」といい、法的な信頼性の高いものです。もちろん契約は「任意後見」だけでもできますが、どうせ元気なうちに任意後見契約を結ぶのなら、その前段階の任意代理契約(委任契約)も結んでおくのが賢いやり方です。

任意代理は、受任者となった子どもが親の代わりに役所で公的な手続きをしたりできるのです。ただし、万能ではありません。本人が出向く必要のある法律行為もありますし、銀行などは公正証書があっても通用せず、断られてしまうことが多いようです。やはり、本人確認のハードルは高いのです。

不動産の売却も、任意代理ではできません。任意代理人ではなく、本人の意思を確認しないと、私たち司法書士は登記を申請できない仕組みになっています。

任意代理は本人が元気な段階なので、こうした制約があるのはやむを得ません。本人が認知症などになり、契約が任意代理から任意後見に移行してはじめて、受任者が本格的な代理人(後見人)になれるのです。

しかし残念ながら、その任意後見も、後見人が本人の財産を完全に「解凍」できるわけではありません。本人があらかじめ「この人に任せる」と決めたのですから、財産は後見人の判断で動かせそうなものですが、裁判所がいっさい管理せずに放置することはありません。

では、どう管理するのか。本人の判断能力が低下して、任意代理から任意後見に移行するときは、後見人候補者(たとえば任意代理を務めていた息子など)や親族などが、「後見監督人」を選んでほしいと裁判所に申し立てます。

そこで法的に「代理」から「後見」に切り替わるわけですが、弁護士や司法書士などの専門家に、後見人が使い込みなどの悪さをしないよう監督させるのです。

 

中世イングランドを起源とする「信託」制度

したがって、本人が判断能力を失っても、本人の思いどおりに財産を使うためには、任意代理と任意後見をセットで契約するだけでは十分ではありません。

認知症になってから慌てて法定後見人をつけるよりは、本人が元気なうちに任意後見の契約をしたほうがはるかにマシですが、それでも財産は裁判所の管理下に置かれてしまうのです。

でも、ご安心ください。本人が元気なうちに打っておけるきわめて有効な手立てがあります。それが、いわゆる「家族信託」にほかなりません。

「信託」という言葉を聞いて銀行のことを思い浮かべる人も多いでしょう。しかしこれは、銀行の投資信託のような金融商品とはまったく関係ありません。

一般的な呼び名は「家族信託」のほかに「民事信託」などもありますが、どちらも同じようなもの。「信託法」という法律に基づく、私人同士の契約行為です。

信託制度は、イギリスをはじめとするヨーロッパで盛んに利用されてきました。その原型は、中世のイングランドで、十字軍に参加する騎士たちが出征中の家族のために使った「ユース」という制度だといわれています。

騎士が出征すると、その財産の管理ができません。そこで出征前に信頼できる友人などに財産や領地などの名義を変更し、財産管理を託す。託された友人は本人に代わって財産の管理や運用を行い、そこから得た収益を騎士の家族に渡すのです。

出征した騎士は生きて帰ってこられるかどうかもわかりません。生きていても、当時の通信環境では、音信不通の状態が長く続きます。財産の運用について指示や確認をしたくても、連絡するのはほぼ不可能です。

そのような状況で財産の名義を友人に変更してまで託すのですから、よほどの信頼関係がないと契約はできないでしょう。現在の信託制度も、そういう強い信頼関係がないとできないことが、ひとつの重要なポイントです。

日本では、大正時代に「信託法」がヨーロッパの制度を参考にして導入されました。

しかし、ヨーロッパで根づいていた精神までは輸入されなかったのでしょう。

本来は「強い信頼関係」がないとうまくいかない制度なのですが、その昔、日本ではいささかハードルが低くなってしまい、安易な使われ方をされたのです。

そのため、ヤクザまがいの金融業者が現れたりしました。

そうなると、法律で規制せざるを得ません。トラブル防止のために、銀行のような大きな資本金を用意できる機関でなければ信託ができないよう、厳しい縛りがかかりました。

そのため日本では、「信託といえば銀行」という印象が強くなってしまったのです。

 

名義を書き換えて財産の管理を託す

しかし2006年、84年ぶりに大きな信託法の改正がありました。きっかけは、小泉政権が推進した「構造改革」です。

信託制度を使うと、流動性の低い不動産などの資産を金融商品化できるのです。

この法改正によって可能になったのが、これからご紹介する家族信託です。

先ほど説明した任意代理や任意後見と家族信託のいちばん大きな違いは、財産の「名義」を「受託者」(本人から託される人)に書き換えられることでしょう。本人の判断能力がなくなっても、受託者の名義に変わっている財産が凍結されることはありません。

任意後見も「この人(受任者)に任せる」という契約なので、両者のあいだにそれなりの信頼関係はあります。しかし、受任者の権限はあまり強くありません。完全に信頼することができないから、裁判所も後見監督人をつけるわけです。

それに対して、信託は財産の名義まで与えて「この人(受託者)に託す」というのですから、きわめて強い信頼関係がなければできません。単なる「代理人」とは違い、ほぼ一心同体のような関係であるため、法的には、かなり重い意味を持ちます。

ですから、本人と受託者のあいだできちんと契約さえしていれば、そこに書かれている法律行為──不動産の売却や金融資産の運用など──が、ほぼ思いどおりにできます。いわば、家族信託は「生前に効力を発揮する遺言」のようなものなのです。

正式な遺言書は、自分の財産を死後にどう使ってほしいかを決めておく最強の「証文」です。だからこそ、自分の死後に「争族」を起こしたくなければきちんとした遺言を書いておく必要があります。

ただし遺言は、本人がいつでも書き換えられます。いくら遺言を作成しても、次の日に別の遺言を書いたら最新の遺言が優先されます。一方、家族信託は簡単には書き換えられません。信託された財産(名義が書き換えられた財産)は遺言の対象財産から外れるため、「争族」を防ぐ一助になります。

また、遺言は生きているあいだには効力を発揮しません。しかし家族信託なら、認知症などで判断能力を失ってから死んだ後まで、財産をどう使ってほしいかを決めておけるのです。

 

家族信託なら「次の次」の相続まで決められる

それだけではなく、家族信託では遺言よりも先々のことまで決められます。

というのも、遺言で指定できるのは、「次」の遺産相続人だけ。たとえば自分の妻に相続させた場合、その財産は妻に所有権が移ります。

したがって、妻が「自分の財産」を誰に相続させるかは、妻自身が決めること。夫の死後に妻が再婚相手にすべてを渡しても、すでに亡くなっている「元夫」は文句をつけられません。

それに対して、家族信託では「次の次」「次の次の次」など、100年くらい先のことまで決めておけます。自分が死んだときは妻、妻が死んだときは長男、長男が死んだときは孫......といった具合に、自分の築いた財産をどう継承してもらうかを指定できるのです。

先祖代々の不動産や会社の株式などの財産を世代を超えて希望どおりに受け継いでほしい人にとっては、遺言以上に安心できる制度だといえるでしょう。

著者紹介

杉谷範子(すぎたに・のりこ)

司法書士法人ソレイユ代表

司法書士法人ソレイユ代表司法書士、一般社団法人実家信託協会理事長、宅地建物取引士、致知人間学認定コーディネーター
京都女子大学卒業後、東京銀行(現、三菱UFJ銀行)を経て、2002年司法書士登録。信託を活用した相続・事業承継コンサルティングで、円満家族と企業の永続経営を支援し、ひとりひとりが安心できる未来をつくる使命を担う。
NHK「クローズアップ現代 + 」「あさイチ」「ニュースウォッチ9」に相続、家族信託の専門家として出演。
また、日本記者クラブにて「18歳成人と知的障がい者の親なき後問題」について記者会見を行う。
著書・共著『介護とお金の悩みを実家で解決する本』『弁護士が見落としがちな相続事案の税務と登記』『知識ゼロからの空き家対策』他多数。

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