
(写真:中山久美子)
イタリアと聞くと、陽気な人々、美味しいピザやパスタ、太陽の光を浴びて輝く、色彩豊かな街並み...。そんなイメージが思い浮かびます。実際、イタリアでのリアルな生活はどのようなものなのでしょう?
本稿では、トスカーナ州在住の中山久美子さんによる書籍『イタリア流。』よりご紹介します。
※本稿は、中山久美子著『イタリア流。 世界一、人生を楽しそうに生きている人たちの流儀』(大和出版)を一部抜粋・編集したものです。
楽しさや嬉しさにフォーカスする
毎日は誰にでも平等にやってきます。自分がどういう状況でも、どういう気持ちでも、同じ時間を生きなくてはいけません。日本にいても、イタリアにいても、どこにいたとしても。
だったら、やっぱり楽しいほうがいいですよね?
とはいえ、日本にいた頃はもちろん、住み慣れたイタリアでも毎日いろんなことが起こります。それでも嫌なことはできるだけ忘れるのと同時に、楽しい、嬉しい、美味しい、なんでもいいのですが、ポジティブなことにフォーカスするだけで、毎日を気持ち良く過ごせます。
今日は天気が良くて気持ちいいな、とテラスでぼーっとしたり、庭に出てみたり。散歩に出て風景を愛でてみたり。道端で見つけた野生の花の美しさや、お母さん鴨の後ろに並ぶ小鴨の列にほっこりしたり。
村を歩いていて顔見知りの赤ちゃんの成長にニヤニヤしたり、美味しいチーズを買い、つまみ食いして一人美味しさに悶絶したり。新しいメニューが思いのほか家族に好評で、あっという間になくなって小さなガッツポーズをしたり。
自分へのご褒美と称して、久しぶりに美術館へ行ったり、お気に入りのカフェに行ったり。日本人友とランチして近況報告やイタリア生活の愚痴で発散したり。
苦労したアポ取りがパズルのようにうまくハマったり、イタリア人から予期もせず早くメールが返ってきたり。いろんな用事や交通機関の乗り換えがあるのにもかかわらず、すべてが順調にいって時間通りに帰れたり。
毎日が楽しいことや嬉しいことだらけではないし、イラついたりムカついたりすることもあります。だからこそ、ささやかなことに喜びを見出したい。
その小さな喜びに気づいたら、ちょっとそこにとどまっていたい。それだけで平凡な日も良い日になるし、嫌なことも忘れやすくなる気がします。
大学の卒業旅行で初めてイタリアに来た時、イタリアはなんだか人が面白い、一度でいいから住んでみたい、と思った私。
しかし実際に住んでみると、期待通りのことばかりではありませんでした。それどころか、好きで来たにもかかわらず、リアルなイアリア生活は大変なことばかりでした。
起こること自体は、イタリアに住むイタリア人にとっても同じこと。なのに彼らは、時には寛容に受け止め、時には何事もなかったように上手に身をかわし、時には家族や友達に癒されながら、やっぱりなんだか楽しそうに生きているのです。
そんな彼らを見ながら何年も過ごしていると、良い意味で私もどうやらイタリア人化しているようです。
なんてったって、私も人生の折り返し地点を過ぎました。これから先も何があるかわからないけれど、好きなこと、楽しいこと、嬉しいことで毎日を満たしていきたいと思っています。
なんだかんだ言っても楽しい毎日
「日本は住みやすいけど生きづらい。外国は住みにくいけど生きやすい」
これは先日、SNSで見た投稿です。皆さんはどう思われますか?
私は生きづらさを感じてイタリアへ行った身なので、共感しないでもありません。しかしイタリアが生きやすいか? と問われると、万人がそうではないと思います。
移住した当初に日本の友人たちから言われたのは、住みやすさでも生きやすさでもなく、「イタリアに住むなんて素敵! かっこいい!」でした。しかし実際のイタリア生活は、不便でトラブルだらけ。かっこいいことなんて、一つもありません。
それでもこうして今も、それなりに楽しくイタリアで暮らせているのは、なんだかんだ言ってもイタリアが好きで、愛着を持ってしまっているから。こんなにダメダメなことが多くても、いくら裏切られても、どうしても憎めない、どうしても嫌いになれない。私にとって「出来の悪い息子」のようなものなのでしょう。
この記事を書いているのは、ミラノ出張からの帰りの電車の中。今日は交通機関やアポのトラブルは一切なかったものの、失礼極まりないタクシーの運転手に当たってしまいました。ド直球の嫌味を言って降りたものの、気分は良くありません。
しかし、お願いしたものは完璧だったし、ランチに食べたピッツァはとっても美味しい。仕事づきあいのある女性との再会では、「チャーオ、元気だった?」と交わす熱いハグとまぶしい笑顔。それで嫌な出来事は、すっかり吹き飛んでしまいました。
そう言えば、行きの電車の男性係員も素敵な人でした。私の次の外国人がサービスのお菓子の箱を受け取ると、「Mi piace!(これ好きです)」と嬉しそうに拙いイタリア語で彼に言いました。
日本だときっと「よかったです」「ありがとうございます」と返すであろうその場面で、彼はにっこり笑い、ゆっくりと「Anche a me!(僕も好きです)」と答えたのです。こんな何気ない、"イタリアらしさ"に心が和みます。
皆さんがどこに暮らしていても、毎日を心軽やかに過ごせますように!