世の中にはたくさんの名言や迷言、奇跡のような出来事が存在します。でもそれだけではありません。誰かの何かのきっかけになる言葉だったり行動は十人十色存在していて、それは飾らない、何気ない言葉や行動だったりもします。誰がどんな言葉や出来事できっかけをもらったのか、些細なことから大きな出来事までさまざまな分野で活躍されている皆さんに伺いたいと考え、実際に伺ってきました。
第5回として話を伺ったのは、自身の著書『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』が話題を呼び、随筆(エッセイ)に関する発信にも力を入れている文芸評論家、エッセイストの宮崎智之さんです。宮崎さんの大きなきっかけになったのは「ある言葉」でした。
いつも以上に不安だったコロナ禍
宮崎さんはご本人も公表されていますが、過去に離婚を経験されていたり、ハードワークなどもあり、アルコール依存症に陥った時期がありました。しかしアルコール依存症の治療を経て、現在は再婚も果たしています。
宮崎さんはコロナ禍だった2020年に第1子となる子どもが生まれました。コロナ禍で初の出産を迎えることは、宮崎さんにとって非常に大きな試練になりました。
そもそも宮崎さんが再婚されたパートナーは大阪出身だったこと、パートナーのお姉さんも出産を経験されており、安心できる場所での出産がいいという配慮もあり、東京から大阪へ里帰りしての出産が決まっていました。宮崎さんとパートナーの二人には第一子の誕生に対して並々ならぬ思いがあり、その日を迎えるにあたり様々な準備を進めていました。
そんななかで起きた新型コロナの流行。今となっては分かることも増えた新型コロナですが、当時はすべてが手探りで分からないことがほとんどでした。その状況下で宮崎さんたちは出産の日を迎えることになりました。 当時はまだ楽観的な側面があり、宮崎さん自身も当初は大阪に赴き、現地で仕事をしながらパートナーの出産を待つことも計画していました。ところが、徐々に新型コロナ感染者が増加するなかで、そもそも大阪への移動自体が難しい情勢になっていきました。
実は宮崎さんには基礎疾患(喘息)があり、それも新型コロナに対して神経をとがらせてしまう要因になっていました。もし仮に新型コロナに感染し、肺炎を併発してしまえば、命にも関わる事態になることも予想されました。状況が刻々と悪化するにつれ、大阪へ行くことはもとより、自宅から外へ出ることも難しくなりました。そしてついには緊急事態宣言が発出され、「不要不急の外出は自粛」が連呼されるようになりました。
結果的に宮崎さんは妻の出産に立ち会うことはできず、大阪でパートナーと子どもに合流できたのは、しばらく経ってからでした。
「わたしはそうは思いません」が心を軽くした
コロナ禍の影響で仕事が減ったことも重なり、宮崎さんは精神的に追い詰められた状況だったと当時を振り返ります。
子どもの誕生を控えてなんとしてでも大阪に向かいたい宮崎さんは、当時開設されていた新型コロナの相談窓口に電話します。当たり前と言えば当たり前ですが、電話口の女性と思しき担当者とはマニュアル通りのやり取りが続きました。
「不要な外出は推奨できないけれど、法的拘束力はないため、最終的には自己判断になります」。
マニュアル的な問答に耐えられなくなった宮崎さんは、思わずここまでの身の上話をしてしまったそうです。そのうえで、「初めての子どもが生まれるこのタイミングで、妻が心配で大阪に行くのは不要不急な外出なのか」と相談窓口の担当者にふたたび訴えかけました。
5秒ほどの沈黙の後、電話の向こうから聞こえたのは「"私は"そうは思いません」。
宮崎さんは言います。きっと応対マニュアルとして言う必要がないことを言ったと。電話口の担当者から漏れ出た言葉に宮崎さんは涙を流したそうです。「救われた」と――。
落ち着きを取り戻し、そして決めたこと
宮崎さんが結局大阪へ向かったのは、窓口に電話してからずっと後となりました。「そうは思いません」の言葉で冷静さを取り戻し、無理をしない選択がベストだと考えた結果でした。 この経験以降、宮崎さんが意見を述べるときは基本的に「私は」もしくは「僕は」と話すようにしているそうです。
宮崎さんはこう語ります。「私たち」「僕たち」と何かを代表するのではなく、あのとき「私たちは」と言えなかった電話口の担当者の「私は」を自分は大事にしていきたい。
何気ない言葉が思わず漏れた瞬間、それが相手の人生に大きな影響を与えた瞬間。そんな一瞬はどこにでも転がっているのかもしれません。




