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「そもそも人に自由意志はない」オランダの哲学者スピノザが示した答え

大賀康史(フライヤーCEO)

2025年06月13日 公開 2025年09月02日 更新

「そもそも人に自由意志はない」オランダの哲学者スピノザが示した答え

ビジネス書を中心に1冊10分で読める本の要約をお届けしているサービス「flier(フライヤー)」(https://www.flierinc.com/)。こちらで紹介している本の中から、特にワンランク上のビジネスパーソンを目指す方に読んでほしい一冊を、CEOの大賀康史がチョイスします。

今回、紹介するのは『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(國分功一郎著、講談社)。この本がビジネスパーソンにとってどう重要なのか。何を学ぶべきなのか。詳細に解説する。

 

スピノザの生涯

はじめてのスピノザ

人が本来持っている願望には様々な形がありますが、その中でも自由という言葉に自然に惹かれるのではないでしょうか。そして、本書の副題にもあるように、自由に対する考察がスピノザらしいところかもしれません。

スピノザは17世紀のオランダの哲学者です。1677年に44歳で生涯を終えるまでにわずか2冊の本しか出版していないと言われています。そして、スピノザの死後に遺稿集として刊行されたのが、本書で解説される『エチカ』です。難解な哲学書としても有名な『エチカ』が、著名な哲学者である國分功一郎氏によって、明快に解説されています。

自由意志とは何か、そもそも人に自由意志はあるのか。そして、神は存在するのか。いずれも近代に様々な哲学者が追求したテーマです。その中でも私はスピノザの主張が最もしっくりくるように感じます。

 

神とは何か

スピノザはすべてが神の中にあり、宇宙やそこで働く自然法則を包含すると表現しました。「神即自然」(神すなわち自然)ともいいます。その根拠は「神は無限である」ということです。神が無限なのだとしたら、何かを含まなければ神は有限の存在となってしまう。つまり、無限ならば全てを包含する、ということです。そして私たち自身も神の一部なのだともいいます。

この神はキリスト教が想定する意思をもって人間に裁きを下す神とは異なります。その主張は教会権力が強かった当時の社会では受け入れられませんでした。

次に何が善で何が悪なのかという内容もあります。キリスト教では一般的には神や隣人を愛する行為を善ととらえます。スピノザは、活動能力が高まることを善と呼びました。例えば落ち込んでいる人が音楽によって心が癒されればそれは善になります。なお同じ音楽でも騒音だと感じるときもあるでしょう。この自然界にはそれ自体として善いものも悪いものもなく、すべては対象や環境との組み合わせによるのです。

加えて興味深いところで、ねたみに関してもスピノザは分析をしています。スピノザは「何びとも自分と同等でない者をその徳のゆえにねたみはしない」と言っています。しかし、自分と同等だと思っていたクラスメートや友人が急に高い能力を示したりすると、ねたみの感情が起こったりするものです。ビジネスパーソンでも同僚の出世や成功などがこれに該当しそうです。このあたりも、スピノザの人間理解が優れているところでしょう。

スピノザによる有名な概念に「コナトゥス」があるそうです。その意味は「ある傾向をもった力」です。人は外見や見かけである「エイドス」に注目しがちです。例えば競走馬と農耕馬のエイドスに着目するとそれらは近いように感じられますが、コナトゥスの観点からは農耕馬は競走馬よりも牛に近いと言えます。農耕馬は様々な刺激に対して、競走馬より牛に近い反応をするだろうという理解がなされています。

 

自由とは何か

『エチカ』で語られる最終目標は人間の自由についてです。最終部である第5部は、「知性の能力あるいは人間の自由について」というテーマになっています。一般的に自由は束縛がないという意味で語られますが、スピノザはそう考えません。スピノザの考える自由は、「自分に与えられている条件のもとで自分の力を発揮すること」と考えられています。そして、自由の反対は強制だとされています。

スピノザの説では、自由であるとは、自分が原因になることだというのです。自らが原因となって何かをすることを、能動と呼んでいます。つまり、人が自由であるときは、能動でもあります。

普通では能動と受動は矢印の向き、つまり誰が行為をしているのか、されているのかで能動と受動がわかれると考えられます。一方、スピノザによると誰が行為の原因となっているかで能動と受動がわかれると考えました。言い換えると、自らの行為において自らの力を表現しているときは能動で、他者の力を表現しているときは受動と考えます。つまりカツアゲをされて、現金を人に渡すときは、自分が行動をしていても受動である、ととらえられることになります。

そして自由意志は存在しないとも主張しています。自らの行動は、原因を自らが理解していないだけで、必ず他者や環境の影響を受けていると考えられます。意志そのものはあったとしても、それは自由ではない。意志もまた何らかの諸要因の下に決定されているのです。

 

スピノザの思想と仏教思想の類似性

ここから少し本書から離れ、自分が感じたことを述べていきます。神が存在するか、という議論は哲学の歴史において長く議論されたものでした。有名なところでは、デカルトは神は存在する、という立場で議論をしていましたし、時代はスピノザよりも後になりますがカントはどちらとも言えるので議論しても結論が出ない、という立場で論理を展開しました。

スピノザの考える神は、宇宙やその法則全体、とされます。これが敬うべき対象だとするならば、私にはすんなり受け入れやすくなる感覚があります。そして私たち自身も神の一部なのであれば、自分を大切にすることや、隣人を大切にするという宗教的・道徳的な教えも整合がつきやすいようにも思われます。神を粗末にするわけにはいかないですから。宇宙全てが神なのであれば、人格神を想定せず、自分と周りの世界を区別しない仏教思想の考え方や世界観とも重なるところが出てきます。

また、スピノザの考える自分というものは、様々な他者や環境の影響を相互に与えあい、それによって成り立っている、とされています。これは仏教思想で言うところの縁起の理を別の言葉で表現しているようでもあります。あらゆるものは相互に影響を与えあい、そのおかげで成り立っているという縁起の考え方です。

そのような神の概念や自分をとりまく環境との相互作用は、別の見方をすると物理学の想定する力が相互に作用しあう世界観とも近いようでもあって、スピノザの思想は近代以降の科学とも大きな矛盾なく成立するように思います。

今の社会は数年先も見通せないほどに変化が早くなりました。この時代の流れの本質を見極める上で、スピノザのような王道の哲学に触れることは重要です。本書はこの生きにくい世界を少しでも生きやすくしてくれるのではないでしょうか。

 

著者紹介

フライヤー(flier)

ビジネス書の新刊や話題のベストセラー、名著の要約を1冊10分で読める形で提供しているサービスです。通勤時や休憩時間といったスキマ時間を有効活用し、効率良くビジネスのヒントやスキル、教養を身につけたいビジネスパーソンに利用されているほか、社員教育の一環として法人契約する企業も増えています。(https://www.flierinc.com/)

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